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2016.09.15  取材・文/山下久猛 撮影/大平晋也

パートナーのこと

──プライベートについてお聞きしたいのですが、現在、パートナーの方はいらっしゃるのですか?

中村吉基-近影7

はい、結婚式も挙げています。なれそめから申し上げますと、前に母が亡くなったことはお話しましたが、私が神学校に入学する少し前に、母が肺がんと診断されました。高校生の時に父を亡くしているので、これでとうとう天涯孤独になってしまうなと思っていた頃、現在のパートナーと出会ったんです。彼は私から洗礼を受けてクリスチャンになり、教会のWebサイトをつくってくれるなど、教会を支えてくれています。

当時私は、昼は出版社で働いて、夜は神学校で勉強して帰宅は深夜という日々だったので、なかなか母の看病ができなかったのですが、代わりにパートナーが母を看てくれていました。よく会社帰りに母の好きなものを買って様子を見に来てくれていたので、母もすっかり彼と仲よくなっていました(笑)。

そんなある日、母は私がいないときに彼に「この子をよろしくお願いしますね」と言ったらしいのです。母には私がゲイであることを告白していなかったので、友だちとして言ったのか、パートナーとして言ったのかわからないのですが......。また、母がもういよいよ危篤という時、病室に来ていた従兄弟が私に「彼女はいないのか?」と聞いたんです。母はそれが聞こえていたらしくて、最期に、息を引き取る直前、吸入マスクを外して「吉基には男のお嫁さんがいるの」とパートナーの名前を言ったんです。

そのパートナーとは母が亡くなって6年後、新宿コミュニティー教会を設立して4年後の2008年に結婚式を挙げて、自分の公正証書を渡しています。母の看病をしてくれていた頃は近所に暮らしていたのですが、その後パートナーが電車で片道1時間ほどの場所に引っ越しました。それほど離れていると何かと不便なので、2013年に私も彼が暮らすマンションの近所に移転。以来、お互いの合鍵をもって行き来しています。


──一緒に暮らさないのはどうしてですか?

パートナーが仕事上でも、家族にもゲイであることをカミングアウトしていないからです。彼の家は家族や友だちがよく訪ねてくる上に、パートナーも私と同じく自宅で仕事をすることが多いんですね。だからそれぞれにプライベートな空間があった方がいいということで別々に暮らしているというわけです。


──現在の関係性に不安はないですか?

中村吉基-近影8

先程もお話した通り、私の方には家族、親戚縁者がいないので、私が亡くなった時の葬儀のことや遺産はパートナーが自由にできるように公正証書を渡しています。だからその点は心配ないのですが、ただ、確かに私たちの住んでいる区はパートナーシップ条例もないし、パートナーは家族にカミングアウトしていないので、現状のままでは、彼が突然病気やケガで手術が必要になったときに同意書にサインできないとか、臨終の際に病室に入れてもらえず、死に目に会えないということもあることと思います。いろいろと問題はあるのですが、私たちはまだいざという時の細かな点について至るまでは、お互いきちんと話し合ってはいません。現段階ではまだ答えが出ておらず、プライベートにおける課題のひとつですね。

パートナーシップ条例といえば、昨年、施行された際に、新聞や雑誌の記者たちから「中村さんは渋谷区とか世田谷区に引っ越さないんですか?」とよく聞かれました。でもLGBTの当事者たちがみんな、パートナーシップ条例ができたからといって、すぐ渋谷区や世田谷区に移るかといったらそうではないんですよね。そもそもあのパートナーシップ条例もいろいろ問題があって、区によって違うし、それぞれの個人が抱えている事情だってありますから。何よりやっぱり自分の住んでいる場所を変えなければならない。それは言うほど簡単なことではありません。だからそういう質問をするマスコミの姿勢こそ安易だと思いますね。

伝えたいメッセージ

──一般の人たちへ伝えたいことは?

中村吉基-近影9

教会には孤独な人もたくさん来るのですが、そこから心の病になる人も少なからずいます。そういう人たちに一番言いたいのは「あなたは独りではない」ということ。神様も私も仲間もついている。寂しいと思ったら教会に来て、悩みがあるなら相談してほしいですね。人は絶対に独りでは生きていけないですから。


──一般の人たちに、LGBTの人たちを受け入れてほしいという思いは?

みんなにLGBTに対して「偏見をもたないでください」「差別しないでください」「LGBTを好きになってください」とは言えませんよ。どうしても生理的に受け付けられない人もいるでしょうからね。ただ、社会の中にはLGBTのような人たちもいるんだ、ということを知ってほしいというのはあります。いろいろな違いをもつ人たちが共存するのが社会というものだと思うので。あとはLGBTを排除するためにヘイトスピーチをしたり、暴力に訴えるのは絶対にやめてほしいと思います。


──LGBTの皆さんに伝えたいことは?

まず、彼ら・彼女らに伝えたいのは、あなたたちは「何も間違っていないんですよ」「そのままでいいんですよ」ということ。以前の私にようにずっと受け身でうずくまったままでは状況は決して好転しないから、自分自身の力で立ち上がってほしい、その人はその人にしかない持ち味で生き生きと生きてほしいということです。

それから、これはいつも講義や講演をするときに話しているのですが、一番伝えたいのは〈いのち〉を大事にしてほしいということですね。自分のセクシュアリティって、自分で決めたわけではないですよね。決して悪いことをしているわけでもない。だけど、それを苦にして自殺する人がすごく多いんです。

あるカウンセラーの方が打ち明けてくれたのですが、東日本大震災の際に男性同士のカップルが仮設住宅に入ろうとしたところ、周りの被災者に「あの人たちは友人同士ではなく、ゲイなんじゃないか」と噂され、入居できなくて近くの民間アパートに入らざるを得なかったのだそうです。ある日曜日にカウンセラーが彼らのアパートの近くを通った時に、救急車と消防車が止まっていて、なにかあったのかと不安に思ったらそこで2人とも自殺してしまっていたというんですね......。おそらくアパートでもいわれのない差別を受けたのでしょう。だけど彼らが誰に迷惑かけたというんですか。自分のセクシュアリティで絶対に死ぬことはないですよ。自分の〈いのち〉は大事にしてほしいですね。

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「同性婚」を考えるシンポジウムで憲法学者の木村草太さんと(2015年4月)

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教会を訪れた社会学者・上野千鶴子さんと。金沢でお互いの家族同士の交流があった(2016年6月)

今後の目標

──今後の目標を教えてください。

これまでささやかながら関わってきた中で得たものを活かしながら、LGBTに関することを書いて本として出版したいですね。今、いくつもの本の企画を考えています。

新宿コミュニティー教会の牧師としては、LGBTであるかどうかに関わらずいろいろな人と関わりながら、多くの幸せに立ち会いたいと思ってます。それから、死別ではなくて親との関係性が切れてしまっているLGBTがたくさんいて、そういう人たちは亡くなっても家族にお骨を受け取ってもらえない人も多いんですね。お寺では無縁仏として引き取ってもらえますが、教会ではやってくれません。教会や牧師の存在意義は人々に安心を与えることにあると思うので、いつかは身寄りのないLGBTが安心して入れる納骨堂(合祀墓)ができたらいいですね。

また、まさかLGBTがこんなに社会で話題にされ、認知されるようになろうとは夢にも思っていませんでした。そんな社会になるのは自分が死んでしばらく経ってからだと思っていたので。私のパートナーは自分のセクシュアリティをカミングアウトすることには消極的でしたので、私がカミングアウトするときにもずっと反対していました。それは彼が社会人になってから会社の飲み会の席で「お前はホモなんじゃないか」と3時間も4時間も詰問された経験があるので、カミングアウトしてもひとつもいいことはないんだ、というトラウマをもっているからなんです。

中村吉基-近影10

私が社会に対してカミングアウトする時、反対していたパートナーに「今、私がカミングアウトすることで報われなくてもいい。100年後の性的マイノリティの人たちが『自分たちが生きやすい社会になったのは、100年前に当事者が権利獲得のために活動を頑張ってくれたからだ』と言ってもらえたらそれだけでうれしい。そのためにカミングアウトする」といって説得したんですね。

今も実際に少しずつ変わってきています。例えばトランスジェンダーの人たちの多くは、しばらく前までは夜の世界の飲食業などでしか働き口がなかったのですが、今は議員としても大学教員としても活躍している人がいます。それだけでなく活躍の場は多岐にわたっています。こういった例は次の世代への力になることです。キリスト教もいつか「性的マイノリティの牧師や神父がいて普通」になってくれたらいいですね。

だから今後もさまざまな活動を通して、人の性的指向や個性、長所が生かされるような多様性のある社会になることに少しでも貢献していきたいと思っています。


インタビュー前編はこちら

中村吉基(なかむら よしき)

中村吉基(なかむら よしき)
1968年石川県生まれ。日本キリスト教団新宿コミュニティー教会牧師

幼い頃から教会に通い、高校1年生の時に洗礼を受ける。大阪芸術大学卒業後、郷里の金沢に戻り、高校教師に。上京後は農業系の新聞社で整理記者、キリスト教系の出版社で編集者として勤務。同時にキリスト教系の中学や高校で聖書を教える宗教科の教員免許を取得するために上智大学で聴講し、教員免許を取得。1995年、観光で訪れたニューヨークでエイズ患者が教会から排除されている事実を知り、エイズ患者やLGBTに開かれた教会を設立することを決意。2000年、牧師になるために神学校に入学、2004年、神学校を卒業し、牧師になると同時に日本キリスト教団新宿コミュニティー教会を設立。現在は週日の3日を通信社の編集者として勤務し、日曜は牧師として礼拝を行うほか、結婚式の執行、相談者のカウンセリング、教育機関での講演・講義などの活動を行っている。

初出日:2016.09.15 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの