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2016.09.01  取材・文/山下久猛 撮影/大平晋也

講演・講義の中で

また、昨年(2015年)あたりから、同性愛者の牧師として講演に呼ばれたり、大学で講義をすることが増えてきました。

東京大学大学院でLGBTについての授業(2015年11月)

東京大学大学院でLGBTについての授業(2015年11月)

長崎県・鎮西学院での講演(諫早市民対象、2016年3月)

長崎県・鎮西学院での講演(諫早市民対象、2016年3月)

──講演・講義のテーマは?

それは話す場所によって違いますが、例えば大学で講義を行う場合、大学生たちは身近なところにLGBTの友人などがいるケースが多く、性的マイノリティについてかなり理解している場合も多く見受けられるため、いまさら基礎的な説明をする必要はありません。他方、一般に開かれた市民講座などで話す場合、お年寄りなども多数来られるので、人間のセクシュアリティにはいろいろな形があるということを図解で説明しています。また、教職員向けに講義を行うこともあります。やはり小・中学生の中にもLGBTは確実にいますから、教師の方々にはLGBTに関する知識は絶対に必要なのです。

教会として毎年参加している「東京レインボープライド」のパレード

教会として毎年参加している「東京レインボープライド」のパレード

それから、性的マイノリティに開かれた教会ということで、毎年ゴールデンウィークに開催されている「東京レインボープライド」というフェスティバルに教会の関係者全員で10年以上前から参加しています。2015年には日本のキリスト教会として初めてブースも出展しました。10年以上続けてきてようやく教会の存在を知られるようになってきました。

また、私たちの教会はHIV/エイズの人たちとともに歩むという方針を打ち出しているので、12月1日の世界エイズデーに最も近い日曜日に、エイズで亡くなった人たちの追悼礼拝を開いています。現在ではカトリック、聖公会、ルーテル教会と共催して「世界エイズデー記念礼拝」として行っています。

教会形成に対する思い

──どういう思いで教会を運営しているのですか?

そもそもこの教会は、信徒をたくさん増やしたいとか、教会組織を大きくしたいから立ち上げたわけではありません。特に性的マイノリティやHIV/エイズなどで、あらぬ誤解を受けて生きにくさを感じている社会的マイノリティの人たちの力に少しでもなりたいという思いでいます。


──牧師として活動する上で大切にしていることは?

自らも人としての弱さや欠けている部分をもちながらも、悩める人に寄り添っていきたいと思っています。何も言わなくても寄り添っているだけでその人の心がわかるようになれば本物ですよね。私はまだそこまでは到達できていないので、徹底的にその人の話を聞くことを心がけています。

やりがい

──牧師としてのやりがいを感じるのはどんな時ですか?

中村吉基-近影5

私たちの教会に来た人に「新宿コミュニティー教会のような教会が日本に1つでもあってくれてよかった、救われた」と言っていただけるのが牧師をやっていて、教会を立ち上げて一番よかったと思う時です。そこにこそ、この教会の存在意義があると思います。

また、クリスチャンになるための洗礼式を行う時や教区で新しい牧師が誕生する時に、先輩牧師がみんなでその人の頭に手をおいてお祈りをするんですね。全員で一気にスクラムを組むようにして。その時に言い知れぬ喜びを感じます。

あるいは結婚式の時、当人たちの顔が見えているのは牧師だけなんですよね。参列している人からは式中の2人の顔は見えません。その時、幸せの絶頂にいる2人を見ると、「ああ、いい顔をしているな。人の幸せの瞬間に一番近くで立ち会えるいい仕事だな」と感じるんです。これが仕事としては一番うれしいですね。


──牧師という仕事は天職だと思いますか?

私を含めて、幼い頃から牧師になりたいと思っていた牧師はいないと思いますよ(笑)。以前、キリスト教系の出版社で働いていた頃に23名の牧師・神父の召命(しょうめい)記の本を作ったことがあるのですが、やはり子どもの頃の夢が牧師だったという人は誰ひとりいませんでした。牧師は基本的に代々世襲されていくものではないんです。カトリックの神父は生涯独身だから世襲はできないですしね。ただ、神学校には親が牧師だという人がある程度はいました。

ほとんどの人は人生のある途上でふっと牧師の世界に「引きずり込まれた」人なんですよ。私たちは牧師の道に入ったきっかけを、神からの呼びかけを受けたという意味の「召命」と呼んでいます。その召命も人それぞれで、マザー・テレサに直接声をかけられたことや、聖書に書いてある一句が、神さまが今の自分に語りかけられている言葉だと確信したことが召命につながった人もいれば、目の前で友人が飛び降り自殺をした時、自分はその現場にいたのになぜ止められなかったんだろうという後悔から牧師の道に入った人もいます。彼らも牧師が自分の天職だとは思ってないでしょうね。私の場合も何度か召命を感じた瞬間はありました。まだ自分には欠けているものがたくさんあるけれど、人々に神様の言葉を伝えながら、自分が人間として完成されていく途上を歩んでいるのが牧師なんじゃないかなと思いますね。

クリスチャンになった経緯

──中村さんが牧師になるまでの経緯について教えてください。キリスト教との最初の出合いは?

中村吉基-近影6

私は石川県金沢市で生まれ、ほどなく父の転勤で東京に移住し、近所のお寺が経営する幼稚園に通っていました。小学校の同じクラスに教会附属の幼稚園出身の子がたくさんいて、毎週日曜日に教会に通っていたんですね。私の祖父母がクリスチャンだったこともあり、何となく興味を持って、私もその子たちの行っている教会に通うようになったんです。それが教会との最初の出合いですね。

中学2年生からは再び金沢へ戻るのですが、転校先で友だちがすぐにできなくて非常に孤独を味わいました。そんな中、祖父母が通っていた教会に行くことで随分孤独を癒やされました。聖書も読むようになり、キリストも最後は人から見捨てられて、十字架にかけられて死んでいくというストーリーに共感しました。

高校時代に洗礼を受ける

高校に入学しても、教会が大好きでいつも学校が終わったら教会や牧師の家に遊びに行っていました。教会に行くと下は小学生、中学生、上は大学生のお兄さんお姉さんから若手の社会人、おじさん・おばさん、お年寄りまでいろんな人がいて、温かく楽しい時間を過ごせていました。そのおかげで私は一人っ子なのですが、さびしくなかったんです。彼らを自分の家族のように、教会は第二の実家のように思っていました。それで高校1年生の時に、当時通っていた日本キリスト教団金沢教会で洗礼を受けました。私にとって、洗礼を受けることは自然なことだったんです。そして、当初は英語の教師になりたいと思っていたのですが、17歳の頃には将来は牧師になりたいと思うようになっていました。


──きっかけとなった出来事はあったのですか?

聖書を読んでいた時、ある一節が心にとまりました。「さあ行きなさい。.........命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」(新約聖書・使徒行伝5章20節)。イエス・キリストの言葉を人々にもれなく伝えなさいという意味なのですが、この一節を読んで、神様は私にそうせよと語りかけていると、そうすることが神様の思し召しなのかなと確信していったのです。私にとってはこれが最初の「召命」だったと思います。

中村吉基(なかむら よしき)

中村吉基(なかむら よしき)
1968年石川県生まれ。日本キリスト教団新宿コミュニティー教会牧師

幼い頃から教会に通い、高校1年生の時に洗礼を受ける。大阪芸術大学卒業後、郷里の金沢に戻り、高校教師に。上京後は農業系の新聞社で整理記者、キリスト教系の出版社で編集者として勤務。同時にキリスト教系の中学や高校で聖書を教える宗教科の教員免許を取得するために上智大学で聴講し、教員免許を取得。1995年、観光で訪れたニューヨークでエイズ患者が教会から排除されている事実を知り、エイズ患者やLGBTに開かれた教会を設立することを決意。2000年、牧師になるために神学校に入学、2004年、神学校を卒業し、牧師になると同時に日本キリスト教団新宿コミュニティー教会を設立。現在は週日の3日を通信社の編集者として勤務し、日曜は牧師として礼拝を行うほか、結婚式の執行、相談者のカウンセリング、教育機関での講演・講義などの活動を行っている。

初出日:2016.09.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの