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2016.02.15  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

尊敬する画家に会いにNYへ

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だから世界で一番好きであこがれているアーティストに自分の作品をどう評価してもらえるか知りたくて、知人のつてをたどってニューヨーク在住の現代美術家の篠原有司男さんのアトリエを訪ねたんです。篠原さんは日本で最初にモヒカンにしたような人だからすごくファンキーでめちゃめちゃぶっ飛んでるんですよ。描くのがものすごく早くて、どうしてそんなに早く描くんですかと聞いたら、「早く描かないと人生終わっちまうだろ。ちんたらしてると死んじゃうよ」といつも言っていました。明日死んだらどうしよう、今創るしかないと言いながら寝食を忘れて描いて、終わったらぶっ倒れるというのを80年間やってるような人だから本当にすごいアーティストだと思います。彼こそ生き急いでいる人ですよね。

その篠原さんに僕の絵を見せたところ「君の絵はすごくいいからこのままアーティストを目指して頑張れ」と言ってくださいました。このひと言で折れかけていた心が復活し、いろいろ悩んでいたけどやっぱりアーティストになろうともう一回スイッチが入ったんです。でも今振り返れば篠原さんは本気で言ったとは思えないんですよね。


──どういうことですか?

20歳そこそこの学生が描いてる絵にいいも悪いもないんですよね。今こういう絵を描いてますと言っても後々作風が変わるかもしれないし。もちろんそのとき篠原さんに褒めていただいたことがものすごく自信になって、その後も絵を続けられて今につながってるのは確かですが、その「いいよ」と言ってもらえた絵が世の中で評価されるとは限らないですから。だから篠原さんは僕の中にアーティストの「種」みたいなものがあるんじゃないかという意味で「いいよ」と言ってくださったんだと思うんです。結局絵を続ける気持ちがあるかどうかが重要だったと思いますね。

あと印象的だったのが、僕が訪ねて行ったときも全然お金がないらしく「明日の家賃どうしよう」みたいな話を奥さんとしてて、こんなに有名なアーティストでもこういう厳しい状況なんだなあと。篠原さんは自分の命を削ってすごくかっこいい作品を創るタイプのアーティストなので強いあこがれを抱き、アーティストとして彼のように生きねばならないと思う反面、僕は果たして彼と同じように生きられるだろうかと思ったのも事実です。篠原さんのことは今でも時々脳裏に浮かびますね。スタイルは違えど、絵にすべてを捧げる彼のストイックな姿勢を今も見本にしています。

大いに刺激を受けつつ帰国して大学を卒業後、ロンドンに渡りました。

ロンドンでアーティスト修行

ロンドン時代の作品

ロンドン時代の作品

──ロンドンに渡った目的は?

アーティストとして絶対に20代前半で成功しなければ未来はないと自分を追い込んでいて、そのためには世界の芸術の最先端の都市で結果を出すしかないと思っていたからです。実は、本当はアメリカに行きたかったんですが、貧乏な学生でも海外に滞在できるワーキングホリデー制度がなかったのでロンドンにしたんです。

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でものっけから波乱のスタートでした。まずロンドンに着いて1週間後に全財産を盗まれてすっからかんになってしまったんです。お金がなくて家賃が払えないからゲストハウスの管理人みたいな感じで住み込みで働いていました。普段はその4畳半の管理人室で絵を描いていたのですが、合計で3回泥棒に入られて絵の具やパソコンなど全部盗まれてしまいました。他にもいろんな不幸が重なったのですが、楽しかったですよ。なかなか経験できないことだらけだったので(笑)。

ロンドンに行くアーティスト志望の若者ってまずアートの学校に入るんですが、僕はお金がなかったのでそれができなかったんです。学生でもないし正規就労者でもない、ただの外国人フリーターなので身分を証明するのはパスポートしかありません。そうすると銀行口座も作れないし、電話も持てないし、まともに家も借りられない。めちゃめちゃ立場が弱い存在でした。

アーティストとして活動しようにも、今までなら大学に所属していたので大学が企画する展覧会に作品を出展できますが、ロンドンではそれもできない。作品を描くことも観てもらうこともできないこの状況でどうやったらアーティストとしてやっていけるかを考えたとき、ライブペイントをしようと閃いたんです。ライブペイントなら人がたくさんいるところで絵を描いて観てもらえるので一石二鳥だなと。

それで絵の具と紙を持っていろんなクラブやライブハウスを回って、その場でガーッと絵を描くライブペイントのパフォーマンスをしてたんですが、そういう場所って頭のネジがぶっ飛んでる人たちが多いので、ライブペイントをしている最中によく殴り合いのケンカが始まってました(笑)。僕は性格的にそこまでアウトローではないのでそういう場がすごく嫌でつらいものがありました。どうして僕はこんな殺伐とした場所で絵を描いているんだろうと思いながらも、こういう苦行をしないとアーティストになれないと思い込んでいたから自分を奮い立たせて続けていたんです。かなり無理してましたね(笑)。

ロンドンの街角でライブペイントも

ロンドンの街角でライブペイントも

──生活費はどうしていたのですか?

ライブペイントではお金が稼げないので、極貧生活でした。それでインターネットでお好みの絵を何でも描きますと宣伝して、結婚式のゲストボードや似顔絵など、ぽつぽつ来た注文に合わせて描いていました。また、ケニアのマゴソスクールに行って1回目の壁画を描いたのもロンドン滞在中です(※詳しくはインタビュー前編を参照)。そんなこんなでロンドンには2年間いました。


──ロンドンに行ってよかった、アーティストとして成長したと思うことは?

ロンドンの一番おもしろい点は世界中の国の人が集まっているというところです。僕と同世代のいろんな民族、国の人と出会いましたが、そこで初めて韓国人や中国人が日本に対してどういう感情を抱いているかを知りました。そういうことを通して初めて「世界の中の日本」という視点で物事を考えたり、自分は日本人なんだという意識が強まり、日本人としてどういう表現ができるだろうと考えるようになったんです。2年間の滞在期間を終えて日本に帰ってくるときに、そういう気持さえもっていれば、自分が自分でさえあれば世界中どこにいてもいい作品は創れるんじゃないかというふうに考えることができるようになったんです。外国人の友だちもたくさんできたし、ロンドンに行って本当によかったと思いますね。

ミヤザキケンスケ

ミヤザキケンスケ(みやざき けんすけ)
1978年佐賀市生まれ。トータルペインター。

高校の頃から本格的に絵を学び始め、筑波大学芸術専門学群、筑波大学修士課程芸術研究科を修了。在学中にフィリピンの孤児院に壁画制作、テレビ番組「あいのり」に出演。世界を周りながら絵を描く。その後、イギリス(ロンドン)へ渡り、2年間クラブやライブハウスでライブペイントを行うなどのアート制作に取り組む。帰国後、東京を拠点に活動。NHK「熱中時間」にて3年間ライブペインターとして出演。この他、ケニアのスラム街の壁画プロジェクト(2006年、2010年、2014年)、東北支援プロジェクト(2011年)など、「現地の人々と共同で作品を制作する」活動スタイルで注目を集める。現在、「Over The Wall」というチームを立ち上げ、世界中で壁画を残す活動に取り組んでいる。一女の父として家事・育児に積極的に取り組むイクメンでもある。

初出日:2016.02.15 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの