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2013.09.17  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

オフィスは必要ない

──ハードな毎日ですね。オフィスはどんな感じなのですか?

打ち合わせや取材に対応するための事務所機能は一応、渋谷区神宮前にありますが、いわゆる日々出勤してそこで仕事をするという意味でのオフィスはないです。日々さまざまな人との打ち合わせが連続しているので、いろんなところで仕事をしています。ノートパソコンやスマートフォンがあればどこでも仕事場になりますからね。


──フジヤマストアの社員のみなさんはどこで働いているのですか?

全員、クライアントの会社や指定される場所で1日中働いています。いわゆる「直行直帰」です。つまり普段はみんなバラバラに働いていて、定例ミーティングのときや、必要なタイミングだけ集まるという感じです。


──それで不具合はないですか?

まったくないですね。普段の社員との連絡は電話とメールでほぼ事足ります。プロジェクトの節目では社員全員集まって顔を付き合わせて打ち合わせをしますが、その場所も決まっていません。情報を共有する必要があるときに一番効率のいい場所に集まって打ち合わせをするという感じで10年以上、問題を感じたことはありませんね。

こういう働き方を始めたのは会社を辞めて独立した2000年くらいからです。そのときは世の中にSOHOという言葉くらいしかなくて、それでもその言葉の最後に「オフィス」とついていた以上、オフィス空間の重要性がなんとなく前提としてあったんだと思うんですよ。でも今、僕らのような専門性の高い職種であればあるほど固定的な自前のオフィスはさほど必要ありません。

職種にもよりますが、むしろ今、1日中同じ空間にいる必要がある仕事ってごく一部なんじゃないですかね。もちろん中には守秘義務や企業機密を取り扱う部署では固定的なオフィススペースの自分の席でしかできない仕事もありますが、これからICTの進歩などでさらに加速度的にどんどん減っていくと思います。

この先人口が減り、今までのやり方ではもう昔のような成長は望むべくもないとわかってしまった時代に、どうすれば生き残っていけるかを考えたとき、経営陣はまずコストを下げようとするのは自明の理ですよね。営業上、人件費を下げるのには限界があるので、下げるとしたら継続的に大きなコストがかかる事務所費です。実際に、大手企業が都心の一等地から少し離れた地域に本社を移転し始めています。本当に重要なことは所在地ではなく、人の能力であるとわかってしまった。従来では考えられなかったことですが、これからはこのようにフリーアドレスを前提として、固定的に高いコストがかかる事柄への、よりドラスティックな見直しを多くの企業が加速させるのは、今さらいうまでもない事実だと思います。企業も人も、業態も働き方も時流に適応するということは、すなわち精神的にも物理的にも「動く」ということだと思います。

現場により近い場所で働くことが大事

──では現在の固定のオフィスをもたない働き方は須藤さんのような職能をもつ人には合っているってことですね。

僕は今、主に渋谷の価値を上げるという大きな目的のために動いているわけなので、より現場に近い、現場の空気感を肌で感じる場所で働く必要があります。そういう意味では今僕が使わせていただき、過ごさせていただいている行動半径と時間と場所には非常に満足しています。

今までは経営の大きな方向性や戦略を考える人と現場を知っている人とが別れていて細分化されていた時代もあったけれど、これからは一人ひとりが経営の発想から現場の実務までタテ軸で理解している必要があるのではないでしょうか。僕たちが取り組んでいる環境や社会の課題解決という行為に携わっていなくても、モノやコトをつくる人が想定する現場をどれだけわかっているかがプロジェクトの成否を分ける気がするんです。

日本の未来のために

──仕事観についておうかがいしたいのですが、須藤さんにとって仕事とはなんですか? 誰のために働きたいと思っていますか?

僕にとっての仕事の定義は東日本大震災によって変わりました。あの震災以降、仕事の意味を違う角度で考えるようになったんです。

仕事とは「仕える事」と書きます。では何に仕えるのか。サラリーマン時代はなんとなく「会社」。それが引いては自分の利益に直結していたので結局「自分」に仕えていたってことです。独立してからは家族に仕えようと考えていました。ハンディキャッパーの次男を含め、子どもたちの成長とともに若干のウエイトは変わったとしても基本的には家族のためです。

実は実家が福島にあるのですが、大震災以降のこの日本の振る舞いを見たときに、本当にこの国は簡単に滅びてしまうのではないかと感じました。将来にツケを回しながら現在のお金を追い求めることのみを経済というありさまに疑問を感じています。だから、この国の未来のことをそれぞれの専門性や職能をもっている人びとが真剣に考え、この国に仕えるというアクションを起動させないといけないと感じたんです。この国の未来のためというのはすなわち、子どもたちの未来のためです。

そのためにさまざまな企業や諸外国から評価され求められているネクスタイドやピープルデザインの活動をすべて投入していきたい。自分がもっている、自分が生み出したものだけじゃなく、ご縁やネットワークも含めて、そういうものを総動員して子どもたちの未来、引いては日本の未来のために働きたいと強く思っているんです。

須藤シンジ(すどう しんじ)
1963年、東京都生まれ。有限会社フジヤマストア/ネクスタイド・エヴォリューション代表、NPO法人ピープルデザイン研究所代表理事。

大学卒業後マルイに入社。販売、債権回収、バイヤー、宣伝、副店長など、さまざまな職務を経験。次男が脳性まひで出生したことにより、37歳のとき14年間勤務したマルイを退職。2000年、マーケティングのコンサルティングを主たる業務とする有限会社フジヤマストアを設立。2002年、「意識のバリアフリー」を旗印に、ファッションを通して障害者と健常者が自然と混ざり合う社会の実現を目指し、ソーシャルプロジェクト、ネクスタイド ・エヴォリューションを設立。以降、「ピープルデザイン」という新しい思想で、障害の有無を問わずハイセンスに着こなせるアイテムや多業種の商品開発、各種イベントをプロデュース。2012年にはダイバーシティの実現を目指すNPOピープルデザイン研究所を創設し、代表理事に就任。

初出日:2013.09.17 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの