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2017.07.10  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

衝撃的な"撃沈"

──看護学校に通っている時から将来は国境なき医師団を目指そうと思っていたのですか?

白川優子-近影3

確かに意識はしていました。実際に同級生たちにも将来は国境なき医師団に入りたいと話していました。その時は同級生たちも「国境なき医師団ってかっこいいよね、あこがれるよね、絶対入りたいよね」と話していたのを覚えています。その気持ちを卒業後もみんな普通にもち続けていくものだと思っていたのですが、国境なき医師団の看護師になっているのは私だけでした。


──看護学校を卒業後は?

地元埼玉県内の病院に就職して外科、手術室、産婦人科など、いろんな分野で看護の仕事を経験しました。この間も国境なき医師団への思いは変わらず持ち続け、25歳の時に(国境なき医師団の)職員募集の説明会に参加しました。看護師3年目なので乗りに乗って新人指導くらいのレベルになって自信も出てきて、「よし、もう看護師として一人前だ。国境なき医師団の説明会に行ってみよう」と意気揚々と国境なき医師団の日本事務局に行きました。ところが説明会で高いレベルの英語かフランス語が必須だと知り、夢が打ち砕かれたと......。これが一番衝撃的な"撃沈"でした。職員のほとんどは外国人だし海外で活動するので高い語学力が必要なのは当たり前なんですが、当時はそこまで考えが及んでいなかったんです。


──英会話学校に通ったりしなかったんですか?

実はそれから英会話学校に3年間通ったんです。その後、ペラペラになったと思って英語力を試そうとオーストラリアに短期留学で数ヵ月行きました。そこでもまた大撃沈。私の英語が全然通じなかったんです。

そもそも英語を学んだ目的は国境なき医師団でプロの看護師として業務をするためなわけですが、通っていた英会話学校は日常的なレベルの英会話クラス。やっぱりそんなレベルはまだまだ全く甘かったんですね。

英会話学校の先生に相談したら「え、国境なき医師団の看護師を目指していたんですか? それはあなたの英語力ではちょっと厳しいかもしれませんね。そこまで到達するのには相当かかりますよ」と言われこの時はさすがにもう無理かなと思いました。

夢のためオーストラリアに留学

──それからどうしたんですか?

白川優子-近影4

また国内の病院で看護師として働いていたんですが、やっぱりあきらめられませんでした。どんどん国境なき医師団への思いが募り、29歳の時にオーストラリアに留学しました。今度は前回のような軽い気持ちではなく、本気で英語を身につけるために出発しました。この時、母が「絶対にあなたの(国境なき医師団の看護師になるという)思いは変わらないから行きなさい」と私の背中を強く押してくれました。今でも感謝しています。

オーストラリアでは最初、大学に入学できるレベルの英語力を習得するために語学学校に入学しました。本気で勉強したら大学に入れるまでのレベルにすぐに達することができました。それでオーストラリアン・カトリック大学看護学科に入学して2年間学び、卒業後1年目はオーストラリアのクリニックに看護師として勤務。その後メルボルンにあるロイヤル・メルボルン・ホスピタルというメルボルンでも有名で大きな病院に入ることができました。まさか入れるとは思わなかっただけに夢のようで、とてもうれしかったです。その病院で4年ほど勤めました。オーストラリアの病院時代は外科や手術室の看護師として働くほか、最後の方ではチームリーダーを務めたり、学生や新人指導の担当をしたりしていました。


──日本人なのに現地のスタッフの指導までするなんてすごいですね。ではオーストラリアの病院に就職してからは英語で仕事をするのに困らないというレベルまで達していたわけですね。

実は大学を卒業してよかったというわけではなくて、本当の英語の壁って就職してからどんどん出てきたんです。特にロイヤル・メルボルン・ホスピタルでは英語のコンプレックスで本当につらい時期もありました。でも頑張って最終的にはチームリーダーや新人指導ができるまでになったので、もういよいよ国境なき医師団の門を堂々と叩けるぞという自信を得て、2010年(36歳の時)に帰国しました。実は帰国する時に、ロイヤル・メルボルン・ホスピタルの看護部の上の人が「国境なき医師団に行ってもいいけど、いつでもこの病院に帰ってこられるように籍だけでも残しなさい」と言ってくださったんです。本当にこの病院の職員たちはみんな温かくて、そんなに私を評価してくださっているんだと思うととてもうれしかったですね。

そして帰国した2010年4月に国境なき医師団の面接を受けて合格、手術室看護師として登録しました。


※第4回(7月18日リリース予定)では白川さんにとって仕事とは何か、働くとはどういうことか、今後の夢などについて語っていただきます。乞う、ご期待!

白川優子(しらかわ ゆうこ)

白川優子(しらかわ ゆうこ)
1973年埼玉県生まれ。国境なき医師団・看護師

7歳の時にテレビで観た国境なき医師団に尊敬を抱く。高校卒業後、4年制(当時)の坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学。卒業後、埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として働く。2003年、オーストラリアに留学し、2006年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部入学。卒業後は約4年間、オーストラリア・メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年、国境なき医師団に参加し、イエメン、シリア、パレスチナ、イラク、南スーダンなどの紛争地に派遣。またネパール大地震の緊急支援にも参加。2010年8月から2017年7月までの派遣歴は通算14回を誇る。

初出日:2017.07.10 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの