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2016.02.01  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

東北壁画プロジェクト

──3.11の東日本大震災のとき、東北の被災地でも支援活動として壁画を描いてますよね。どういう経緯でその活動を?

岩沼ビックアリーナという避難所に描いた壁画。最初に絵画教室を行った後、クレヨンとスケッチブックをプレゼントして5メートルのキャンバスに子どもや大人、お年寄りと一緒に絵を描いた

岩沼ビックアリーナという避難所に描いた壁画。最初に絵画教室を行った後、クレヨンとスケッチブックをプレゼントして5メートルのキャンバスに子どもや大人、お年寄りと一緒に絵を描いた

そもそもは、ケニア大使館で2010年のケニア壁画プロジェクトの報告会を開くための準備をしていたちょうどそのときに東日本大震災が発生しました。東京でもかなり揺れて、これはたいへんなことになったぞと思っていたら、同じ会場に居合わせたケニアで貧困支援活動をしているNGOの代表で2010年にケニアの宿で出会った、同じ小学校をサポートする活動をしていた人が「東北に物資を運びに行くんだけど手伝いませんか?」と声をかけてくれました。自分にも何かできることをしたいと震災から一週間後に現地に入ったんです。

最初は東京から被災地の避難所に物資を運ぶだけだったのですが、それを毎週続けている内にあることに気付きました。当時はちょうど春休みで、大人は泥かきに出かけて不在で、避難所にいるのは子どもたちばかり。彼らはやることがなくて退屈そうにしてたり、つまらなそうにゲームをやっているだけでした。その光景を見て、もしかしたらここで絵を描くワークショップみたいなものをやったら子どもたちも気が紛れるかもと思って、物資を届けていた避難所で絵のワークショップをやり始めたんです。そのときケニアのNGOの代表もワークショップ開催の許可を求めにいろんな避難所を回ってくれました。

その後、「東北壁画プロジェクト」として、いろんな場所で現地の子どもたちと絵を描いたり、ワークショップをやったりしました。毎週やるうちに少しずつ子どもたちが明るく元気になって、地元の大人にも感謝されたのでこれもやってよかったと思いましたね。

仙台市長に直談判

──遠見塚小学校の壁画プロジェクトでは仙台市長に直談判したとか。

たまたま仙台市長に繋いでくださる方がいて、直接お話しする機会がもらえたからなんです。そのときは、今までケニアでの活動を通して得てきたものを話しました。具体的には、「その日の食べるものにも困るような生活をしている人たちのところで絵を描かせてもらうことで、現地の人々の気持ちが前向きに明るく変わるということを経験してきました。もちろん被災地はスラム街とは違うけれど、困っている人たちのために僕にも何かできることがあるんじゃないかと思うので絵を描かせてください」とお願いしたところ、快諾してくださったんです。

仙台市長に直談判して実現した遠見塚小学校での壁画制作

仙台市長に直談判して実現した遠見塚小学校での壁画制作

──被災地で絵を描いてる場合なんかではないのではという思いは?

ミヤザキケンスケ-近影16

それはもちろんありました。僕は前々から、絵描きという仕事をしている人間として、絵なんて人が生きる上で必ずしも必要なものじゃない、だとすると絵って何のためにあるんだろうとずっと考えていました。でも絵は太古の昔からあるわけですよ。それこそ石器時代、原始時代に洞窟に描かれた壁画が残ってますよね。また世界中どんな地域にも絵ってあるんですよ。

だから今、僕らが絵を描いたり鑑賞したりできるのは、物質的に満ち足りた余裕のある生活をしているからだと言えるけれども、生きるか死ぬかギリギリの時代でも絵は存在しているので、きっと絵には人が生きる上で大事な何かがあるはずだともずっと思っていたんです。2006年、最初にケニアのスラム街に行ったのは、そういう思いもあったからで、実際に壁画を描いたら貧しい子どもや大人が明るく元気になりました。

それと同じようなことが東北の被災地でもできるんじゃないかなと思ったんです。人って明るい色を見たら気持ちが和んだり、鬱屈していたものが発散できて元気が湧いてくるということがあるじゃないですか。それは人間の精神の根本のところにあるものだと思うんですよね。それに、絵にそういう役割がないと、絵描きである僕自身の存在が否定されるような気もするんです。究極的に過酷な場所でも、僕が描くような絵が人々を元気づけられるということを証明したかったという部分はありますね。


──自分としても挑戦だったと。

はい。特に大船渡で津波に流された後に仮設で建てた理容室全体をペイントしたときは、屋根の上まで全面ピンクみたいな、めちゃめちゃ派手なものを描いたんですね。ここまでやると店主や現地の人たちに不謹慎だと怒られるんじゃないかと思ったんですが、中途半端に描いてもしょうがないので思い切って描きました。そしたら、あまりに目立つので人々が集まってきたんです。この理容室の店主はみんなに元気を与えたいから津波で流された場所に再び仮設理容室を建てて営業しているわけですが、そこに僕の絵がプラスされることによって人々の交流が生まれた。これもやってみて気付いたことだし、絵には何かしらそういう力はあると信じているんです。

全体をド派手にペイントした大船渡の仮説理容室は交流の場にも

その他の活動

──壁画以外の活動について教えてください。個展は定期的に開催しているのですか?

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那須の殻々工房ギャラリーで開催した個展

去年は那須で個展を開いてそのために2ヶ月かけて作品を描きました。本来の僕の絵はもっと時間をかけて緻密に描くもので、それをたくさんの人に見てもらうためにもっと個展を開かなきゃいけないと思っているんですが、外に出て描く活動の方が多いのでなかなか自分の作品が溜まっていかないんです。それが今の僕の最大の課題ですね。今後はキャンパスに時間をかけて向き合って、じっくり作品を描くという僕本来のスタイルにシフトしていきたいと思っています。


──ライブペイントはどういう思いでやっているのですか?

音楽のライブみたいに、その場、その瞬間を盛り上げたいという思いでやっています。いろんなイベントで描くことが多いですね。最初は自分の壁画プロジェクトの資金集めのためにイベントを開催してライブペイントをしていたのですが、それを見てうちのイベントでもライブペイントをやってくれというオファーが増えたんです。あとは例えばアフリカ関係のイベントに呼んでもらったときに、自分の壁画プロジェクトのPRをするために描かせてもらうというのもあるし、企業とのコラボイベントで描くこともあります。年間、大小合わせると20から30回ほどやっています。

ミヤザキケンスケ-近影19

僕は「ライブペイントをよくやっている絵描き」というイメージも強いと思うのですが、実はライブペイントはそれほど重視していないんです。

絵には段階がある

──どういうことですか?

これは最近気づいたことなんですが、僕の絵には「段階」があるんです。まず根本にあるのがアトリエで個展用に描く自分の作品。これはとっても長い時間をかけてああでもない、こうでもないと考えながら緻密に描き込んでいく、本来の僕のスタイルで描く絵です。この絵を例えば1週間で描くとしたら、ライブペイントは1日、数時間で描くので本来の絵の7分の1、10分の1の時間で描けるように工程を省いて単純化・簡略化しているわけです。壁画は子どもたちに描かせるわけなので、さらに工程をシステマチックにしなければなりません。

ですので、最初にすごい時間をかけて描いた絵(=個展)を工程を省いて描いて(=ライブペイント)、それを他者に描いてもらう(=壁画)ように効率化するという3つの段階でやっているんです。だからライブペイントだけをやるのでは絵描きとしての未来がないんです。どんどん先細りになるでしょう。だからその場で描くライブペイントは見た目は派手なので実際にイベントなどでやる機会が多いのですが、あまり比重を重くしたいとは思っていないんです。ただ、ライブペイントをやってないと簡略化できないので壁画を創るときに困るんです。だからこの3つはどれも欠かせない、必要な作業で全部つながってるんですよね。今のところ、いいバランスでやれてると思います。

ただ、絵描きとして一番重視しているのは壁画ですね。壁画は僕にとって一生をかけて取り組みたいライフワークのようなもので、生きている間に世界中にいくつ壁画を残せるかが生きがい、人生の目的と言ってもいいです。壁画ってどういうところに描いても時が経てば劣化していつかは消えてなくなりますが、僕はそこにこそ魅力を感じていて、保存のために厳重に保管される絵画にはあまり興味がないんです。


──ワークショップやオーダーメイドは?

基本的にものづくり系のワークショップは子どもに人気なので、一番多いのは小学生ですね。中学生や高校生を対象にすることもあります。学校でやることも多いですが、ショッピングモールで不特定多数の子ども相手にやることも多いですね。

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佐賀のショッピングモールでのワークショップ

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母校の佐賀北高等学校でのワークショップ

オーダーメイドは個人や企業から依頼を受けて記念の絵やエントランスに飾る大きな絵、イベントのポスターなどを描くこともあります。珍しいものでは靴に描いたりもしています。

石坂産業から依頼されて工場の壁に描いた壁画

石坂産業から依頼されて工場の壁に描いた壁画

靴に描くオーダーメイドも。世界に1つしかない靴になるので人気。オンラインショップで購入できる

──ミヤザキさんといえば壁画のような大きい絵を描く人というイメージがあるのですが通常サイズの絵もけっこう描いているんですね。

もちろん描いてますよ。通常サイズのキャンバスに描く絵は主に自宅のアトリエで個展用やオーダーメイドで描くものが多いですね。将来的には大きな絵もたくさん描いて展示をしたいとは思ってます。年間を通して考えると、描く前にスケッチをしたり構想を考えたりしているので、壁画など大きなものを描いてる時間の方が長いかもしれません。

絵を描くときの精神状態

──いつも絵を描いているときはどういうことを考えているんですか?

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例えて言うなら、9割は編み物的な時間なんです。編み物してるときって話もできるし、音楽を聞きながらでもできますよね。作品を創る時も、実際に手を動かしているときはこんな感じです。あとの1割がどう描こうかと悩む時間。その時間は集中しなければならないので誰かと話もできないし、音楽も止めます。それが決まれば手を動かして描いて、その部分を描き終わったらまた手を止めて次の部分をどう描こうかと考える。その繰り返しです。


──考えながら描くという感じで、描く前にこういう絵を描こうとは決めないんですね。

僕の場合、それをしちゃうと描きたくなくなるんですよね。絵を描くことがただの作業になっちゃうので。ただ、どういう絵を描くかによっても違います。仕事として描く場合、例えば企業の壁に壁画を描くとなると、ある程度のプラン図が必要です。でもその場合もできるだけラフに描きます。今、かっちり描いちゃうと本番で描く楽しみがなくなるのでふわっと描いて、企業さんには本番はもっとよくなりますよと言ってます(笑)。

あとは、何となくですが、自分がしてきたいろんな経験、旅をしたり壁画を残したりすることを通して吸収したものを絵の中に詰め込みたいと思っています。そして最終的におじいちゃんになったときに楽しい絵が描けるようになるといいなと考えながら絵を描いているという感じです。

ミヤザキケンスケ

ミヤザキケンスケ(みやざき けんすけ)
1978年佐賀市生まれ。トータルペインター。

高校の頃から本格的に絵を学び始め、筑波大学芸術専門学群、筑波大学修士課程芸術研究科を修了。在学中にフィリピンの孤児院に壁画制作、テレビ番組「あいのり」に出演。世界を周りながら絵を描く。その後、イギリス(ロンドン)へ渡り、2年間クラブやライブハウスでライブペイントを行うなどのアート制作に取り組む。帰国後、東京を拠点に活動。NHK「熱中時間」にて3年間ライブペインターとして出演。この他、ケニアのスラム街の壁画プロジェクト(2006年、2010年、2014年)、東北支援プロジェクト(2011年)など、「現地の人々と共同で作品を制作する」活動スタイルで注目を集める。現在、「Over The Wall」というチームを立ち上げ、世界中で壁画を残す活動に取り組んでいる。一女の父として家事・育児に積極的に取り組むイクメンでもある。

初出日:2016.02.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの