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2016.05.02  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

人付き合いが大事

流しの様子

──流しの難しい点は?

流しを始めてしばらくは右も左もわからないし、酒場での礼儀作法など覚えることが多すぎてとても大変でした。それに慣れたのはつい最近ですね。例えば初めてお会いするお客さんとも仲良くできなければいけないのですが、あくまでもお客さんなので一歩引いてお客さんをうまく立てなければいけません。お客さんが複数の場合は、その中でどの人が一番立場が上なのかを瞬時に見極める必要があるし、お客さんのキャラクターも正確に判断しなければなりません。例えば最初の頃はものすごく恐いし当たりもきついけど実はすごくいい人だと読めるようになるまでにかなり時間がかかりました。

最大の目的はお客さんに気持よくなってもらうこと。そのためにどうすればいいか。自分のポジションをどこに置いてどう振る舞えばいいか。流しになって以来、そんなことばかりずっと考えてきました。だから実は流しで一番大変なのは歌うことや絵を描くことじゃなくて人付き合いなんですよね。私は何でも人の言葉を額面通りに受け取ってしまうタイプなのですが、それでお客さんを怒らせてしまったこともあります。だから「行間を読む」的なことも重要なんですよね。そういう意味でもこれまでお店の経営者や師匠、お客さんに随分いろんなことを教えていただいたのでとても感謝しています。

義理人情に厚い師匠

──師匠にはかなり細かく指導してもらっているんですか?

いえ、基本的にはあまり細かい指導は受けません。叱られたこともほとんどないですが、本当にダメなことをやっちゃったときは、店を出たときに「あれはよくない」と静かに言われる程度です。自分ではわかっていないことも多いので勉強になります。


──師匠の好きなところは?

何と言っても義理人情に厚いところですね。人の縁をすごく大事にしているのは日々実感していますし、私も見習わないといけないと思っています。師匠だけじゃなくて、荒木町界隈にはまだ人情が息づいていて、私もすごくお世話になっています。例えば「ばんしゃく奈美」の女将さんは私のことも実の娘のようにかわいがってくださっていて、間違ったことをするとちゃんと叱ってくれます。日々人情の厚さを感じられる町ですね。

新太郎師匠との出会い

──ちえさんはどういう経緯で新太郎師匠に弟子入りしたのですか?

ちえさんの師匠は国内最高齢流し、「流しのしんちゃん」として全国的に有名。流し界の生ける伝説である

ちえさんの師匠は国内最高齢流し、「流しのしんちゃん」として全国的に有名。流し界の生ける伝説である

ひょんなことから漫画家の東陽片岡先生と知り合ったのですが、それ以来気に入ってもらい、よく遊びに連れていってもらうようになりました。ある晩、東陽先生と荒木町のスナックで飲んでいるとき、「おもしろい人を呼んでやる」と言って誰かに電話をしました。しばらくして登場したのが"流しの新ちゃん"こと新太郎師匠だったんです。それが師匠との初めての出会いでした。

私は子どもの頃から昭和の映画や音楽、漫画などの文化が好きな昭和マニアだったので、流しは映画の中でしか見たことがないまさしく憧れの存在。昔、荒木町にたくさんいたことは知っていましたが、本物の流しに会ったのは師匠が初めてなんです。中でも師匠は国内最高齢の流しなのでまさに昭和の酒場の生き証人という感じの本物中の本物。昭和マニアとしてはたまらないわけです。東陽先生に加えて師匠とまで知り合えるなんてすごく感激しました。例えていうなら現代のピアニストがショパンに会ったようなもの。その時は師匠の弾き語りを聞かせていただいたり、師匠のギターで美空ひばりの歌を歌ったりしました。まさに夢のような一夜でしたね。

その日以降も東陽先生がトークライブ会場でイベントを開催した時に師匠と一緒に歌ったりしていたのですが、それを見た東陽先生が「君たち2人の組み合わせはおもしろいから2人でユニットを組んで流しをやってみれば?」と言ってくださったんです。

ちえ

歌う漫画家 ちえ[本名:宮本千愛(みやもと ちあい)]
愛知県生まれ。流し

大学時代から昭和歌謡のバンドを組んで歌い始める。集英社「YOU」で初めて描いた漫画が期待新人賞を受賞。プロの漫画家を目指し、小池一夫塾に1期生として入塾。漫画制作の技術を学ぶ。修了後、名古屋造形芸術大学短大に入学。24歳の時漫画家デビュー。地元名古屋の情報誌で連載しつつ、広告漫画などを描いていたが、漫画家としてのステップアップを求め、2010年上京。漫画を使った結婚式ムービーや企業紹介ムービーを作る会社で営業を1年経験した後、同業他社へ営業兼登録漫画家イラストレーターとして移籍。ちょうどその頃、ガロ系漫画家・東陽片岡氏に出会い、四谷荒木町で国内の最高齢流しの新太郎氏を紹介される。2012年7月、東陽氏の勧めで新太郎氏に弟子入りし、「しんちゃんちえちゃん」を結成。新太郎氏のマネージャー兼歌う漫画家ちえとして新太郎師匠と一緒に荒木町を流し歩き、演歌歌謡曲を歌ったり、お客の似顔絵を描いたりしている。その他にも「歌」「漫画」「イラスト」「切り紙」など多方面でアーティストとして活動中。ちえさんが作成したLINEスタンプ「流し新ちゃん&ちえちゃん」「流し新ちゃん&ちえちゃんその2」好評発売中。


流し紹介ムービー

  • 『荒木町の新太郎』

  • 『荒木町の夜』

  • 流し以外のバンド活動記録
    youtubeチャンネル

初出日:2016.05.02 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの