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2016.02.15  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

常に"死"を意識

──生き方として大事にしてきたものは?

ミヤザキケンスケ-近影7

僕は10代の頃から「死」をずっと意識してて、今も死ぬ時のことをいつも考えているんですよ。僕の中のベースに死というものがある。どうせ人間はいつか死ぬ、そのときどういう状態ならいいかなと考えたところ、死ぬ間際、自分の人生を振り返ったときに、豊かな人生だったなと思えたら悔いはないと思ったんです。そのためにはお金がたくさんあるだけではダメで、やっぱり最後までやりたいことをやって人生を全うできれば最高だなと。そのための1つの手段が壁画なんです。壁画を通して世界中のいろんな地域に友だちができて、いろんな人と楽しい思い出が作れたら豊かな人生だったと思えるだろうと。

今振り返るとすごく恥ずかしいのですが、10代の頃は画家として輝いているうちに死にたい、マックス30歳までだなと思っていました。だからそれまでに自分を表現したいと。だから30歳を過ぎたときにどうしていいかわからなくなったんです。よく考えたら子どもの頃から30代以降の自分を想定していなかったから。落ち着いた大人というか、周りのことを考慮して大人の振る舞いをする人間にはなりたくないと思っていました。

でも10代の時より20代、20代より30代の方が見えるものが多くなったせいかだいぶ考え方も変わりましたね。例えば、僕はそんなに生き急ぐタイプではなくてコツコツと自分の才能を磨いて大事に育てていく晩成型かもしれないと気づいたので、逆に焦らずもっと人生をロングスパンで考えて、80歳までに一番いい絵をかければいいやと思っています。人生プランを相当書き換えましたね(笑)。


──画家として生活したいという人はたくさんいるでしょうが、現状ではそれが可能な人はごくわずかだと思います。しかしミヤザキさんは絵で生計を立てるために戦略的に行動してきたというよりは、信じる道を進んで行ったら結果的にそうなったように思うのですが。

それは確実に僕の性格ですね(笑)。僕はアーティストとしての間口がとても広いんですよ。どういうことかというと、芸術家志向というか何かを極めたいという人は、やりたいことや進む道をすごく狭く絞ってぶらさずに追究していきますよね。それも一つのやり方だし、それで高みに登れる人もいます。僕はそこを広く設定しているので、例えば自分が描きたい絵と、求められている絵が多少ズレていても、どっちもある程度満たせるようにうまくその中間を取って創れるんです。しかもそれを我慢してじゃなくて楽しくやれるタイプなんですよ。作品ができ上がったとき、オーダーしてくれる人がいなかったら、自分だけではこういうものは創れなかったことを楽しいしありがたいと思えるので、たぶん一般的なアーティストとは発想が違うと思います。感覚としてはデザイナーに近いのかもしれませんね。

24時間365日アーティスト

──ミヤザキさんにとって生きることと作品を創ることはイコールですか?

ミヤザキケンスケ-近影8

イコールですね。イコールにしようと思ってずっとやってきましたから。24時間365日を人間としてというよりもアーティストとして生きていきたいという気持ちの方が強いです。例えば東日本大震災が発生した時も、この時代に生きるアーティストとして自分はこの震災に対してどうしなければならないのかということを考えて一連の東北壁画プロジェクトに取り組んだわけです。僕は現時点ではまだ、自分のことをアーティストとしてたいしたことのない人間だと思っていて、でもこの自分という人間として死ぬまで生きるしかない。そんな自分が今、ここで何を創るべきかというのを常に自分に問うている感じです。


──ではアーティストとして生きることに苦悩を感じたことはないですか?

これまで話した通り、10代、20代の時はアーティストとして成功する自信なんて全然なくて、どうすればいいかわからずすごく悩んで、例えば音楽をやってみたり、「あいのり」というテレビのバラエティ番組に出て世界一周してみたり、ロンドンで絵を描きながら暮らしてみたりとわけのわからないことを繰り返していました。ゴールが見えなくてどこに向かって進めばいいのか皆目わからない状態で、エネルギーだけはあり余ってるんだけど、どこにどうぶつければいいのかわからない、ぶつけた先に何もなくて手応えなし、というような疲れ方をしていました。

でもそういう試行錯誤を繰り返す中で、段々見えてきたものがありました。例えば壁画プロジェクトを通して自分にできることがわかると、エネルギーを費やすべき方向や対象もわかって、あとは集中して突っ走るだけみたいな感じになるとうまく回るようになる。すると心も非常に平穏でいられる。それが今の状態です。

今、初めて人生のサイクルみたいなのがちょっと見えてきているんです。というのは、去年からスタートした、年に1回世界のどこかの国で壁画を描くという「Over The Wall」というプロジェクトを活動のコアにして、それ以外に自分が描きたい絵をじっくり描くという絵描きとしての活動のベースができたからです。だから10代、20代の頃に比べたらだいぶ安定しているんですが、ただ、そう言っちゃうと現状に満足しているみたいであんまりよくないと思ったりもするんですよね。まだまだこれからやりたいことやたどり着きたい場所はあるので、決して満足しているわけではないんですけどね(笑)。そういう意味でも2016年は絵描きとしてのスタートの年だと考えています。

Over The Wallのメンバーと

Over The Wallのメンバーと

──そのやりたいこと、たどり着きたい場所とは?

今、東ティモールで壁画を描くプロジェクトをスタートしたところなのですが、僕が描きたいと言ってもすんなり受け入れてはくれません。なぜなら、ケニアでは3回壁画を描いた実績があるからすぐ受け入れてくれますが、東ティモールで僕のことを知ってる人なんて誰もいないし、「Over The Wall」の活動自体もほとんど知られていないからです。それを知ってもらうことでより広く、いろんな場所で壁画を描くことができるようになるので、まずはそういう環境を自分で頑張って作っていかなければと思っています。また、壁画やワークショップを通じて、絵を描かなくなってきている子どもたちに絵筆を持って、好きなように絵を描ける楽しさ、夢を描くことの素晴らしさを伝えたいですね。

ミヤザキケンスケ-近影9

もちろん僕が描く絵自体に関しても、恥ずかしいくらい満足の行くレベルにまで全然達していないので、もっと時間をかけてじっくりと描きたいですね。同時に、今、世間的にも僕の絵はアートとして認められるというよりも「活動」として見られているので、ちゃんとアート、美術品として価値を見出してもらえるような作品を創りたいと思っています。より多くの人に僕の絵を見てもらうためにも。

もう1つは、今の僕はケニアのスラム街などの貧しい地区に行って子どもたちと一緒に絵を描いているだけで、貧困そのものは変えられていません。でも例えば同じ場所にもっと世界的に有名なアーティストが行って絵を描いたり音楽ライブをやったりするとお金も人もたくさん集まって、現地の人たちをハッピーにするためにより多くのことができますよね。そういうアーティストになりたいと思っています。


インタビュー前編はこちら

ミヤザキケンスケ

ミヤザキケンスケ(みやざき けんすけ)
1978年佐賀市生まれ。トータルペインター。

高校の頃から本格的に絵を学び始め、筑波大学芸術専門学群、筑波大学修士課程芸術研究科を修了。在学中にフィリピンの孤児院に壁画制作、テレビ番組「あいのり」に出演。世界を周りながら絵を描く。その後、イギリス(ロンドン)へ渡り、2年間クラブやライブハウスでライブペイントを行うなどのアート制作に取り組む。帰国後、東京を拠点に活動。NHK「熱中時間」にて3年間ライブペインターとして出演。この他、ケニアのスラム街の壁画プロジェクト(2006年、2010年、2014年)、東北支援プロジェクト(2011年)など、「現地の人々と共同で作品を制作する」活動スタイルで注目を集める。現在、「Over The Wall」というチームを立ち上げ、世界中で壁画を残す活動に取り組んでいる。一女の父として家事・育児に積極的に取り組むイクメンでもある。

初出日:2016.02.15 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの