WAVE+

2014.02.17  取材・文/山下久猛 撮影/葛西龍

アファンでの仕事

──当時、アファンでどんな仕事をしていたのですか?

現地スタッフと一緒に(2013エコプロダクツにて)

最初はニコルの仕事の手伝いが主でした。例えばニコルが新聞・テレビなどのメディアからアファンの森で取材を受けるときに現地でのコーディネイトや雑用などアシスタント的なことをやったりしていました。他にはニコルの畑の手伝いをしたり(笑)、時々森の整備をする松木さんの手伝いをしたりもしました。

2001年にNPOが設立され、アファンの森の事務局の仕事も行うようになり、翌年の2002年に「財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団」が創設され、財団法人の事務職としての仕事も増えました。会員の管理や各種書類作成、イベントの企画運営、現地での来客対応に加え、引き続きニコルのアシスタント的な仕事も行っていました。その後財団の規模が徐々に大きくなり、2004年に正式に財団の職員になりました。ニコル個人からではなく、財団から給料が出るようになったわけです。

その後、ニコルと一緒に1986年からアファンの森をつくりあげてきた松木さんが高齢になり、森の管理人を辞めたいとたびたび口にするようになりました。そこで彼の後継者を新しく探さないといけないという話になったとき、そもそも自然や森が好きで自然の中で働きたいと思っていたので僕にやらせてくださいと志願したわけです。

でも最初の頃は財団の事務仕事も多かったので、体が空いているときに松木さんについて森へ手伝いに行くという感じでした。松木さんは黒姫の森を知り尽くした林業家でもあり猟師でもある自然のプロ中のプロなので、森の整備や動物のことなど森に関するあらゆることを教わりました。とはいっても松木さんの知識の中の一部分しか教わっていないと思います。それほどまでに、松木さんの知識や観察力はすごいんです。そして2012年から松木さんが本格的に引退し、周りのスタッフにも協力してもらって、森の管理を主な仕事としてできるようになったのです。

松木さんに教わりながら森の整備・管理の仕方を覚えていった

──石井さんは黒姫に移住して約17年経ちますが、今振り返っても黒姫に移住してよかったと思いますか? 望んでいた森の仕事ができるようになって、これこそ自分の望んだ生き方だという感じですか?

そこまでではないですが、今はそれが自然で当たり前になっていてストレスもないので、移住してよかったなと思いますね。田舎は何かと不便なこともありますが、今さら都会には戻りたいとは思いません。もし移住するならまた田舎でしょうね。

田舎暮らしの魅力

──田舎暮らしの魅力はどういうところにありますか?

先程もお話しましたが、僕の家はアファンの森のすぐそばなので、まず朝起きて窓から見える景色が素晴らしいんです。そういうことを含め、とにかく自然の中で暮らせることが一番の魅力ですね。


──働き方という意味でいいと思う点は?

雪が積もる冬以外はずっと大好きな森にいられるのがいいですね。また、今は森の整備担当の責任者なので、誰かから仕事を指示されるのではなく、自分でやるべきことを考えて、段取りを組み、自分のペースで働きつつ結果を出すという一連のプロセスも大きな魅力です。


──では現在の働き方に関しては満足していますか?

そうですね。満足しています。特に、これまでは森の仕事と財団の事務系の仕事との二足のわらじで、森の草刈りをしている最中に財団の事務仕事のことを考えたりもしていました。しかし、それでは僕にとっても森にとってもよくないとアファンのスタッフたちが僕を森に集中させようと協力してくれたおかげで、昨年(2013年)からは森の仕事に専念できるようになり、とても助かっています。

そのおかげでこれまでできなかったことまで手を伸ばせるようになり、いろんなことがわかってきたので今はとても楽しいですね。これまで以上にいろんなことがつながってきた感じがしています。

石井敦司(いしい あつし)
1967年神奈川県生まれ。一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団 森林再生部 森林整備担当。通称「森の番人」。

自然が好きで田舎暮らしにあこがれ、1997年、長野県信濃町黒姫に妻と移住。2001年にアファンの森に事務スタッフとして入職。2007年から初代森の番人の松木氏の後継者として森の整備・管理の仕事に従事。2012年、2013年は責任者として森の管理を行う。現在は妻、2人の息子と長野県黒姫に暮らしている。

初出日:2014.02.17 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの