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2018.01.05  取材・文/山下久猛 撮影/山本仁志(フォトスタジオヒラオカ)

医師としてのポリシー

──岩田さんが生きる上、働く上で大事にしてきたのはどのようなことですか?

カンボジアの病院で

カンボジアの病院で

これはカンボジアに通うようになる前からそうなんですが、医師として必要とされる場所で仕事をするというのが僕の方針ですね。だからオファーが来ればどこでも行くわけです。

ただ今後、例えばカンボジアも発展していく過程で手術ができる医師も増えていけば、僕の活動の方向性も変わっていくでしょう。行く現場がもっと必要とされる国・地域へと移っていくかもしれません。

だから幾つになっても本当に必要とされるところで仕事をしていたい。また、ずっと停滞というのはよくないので、現地のニーズに合わせて常に変化しながら活動できればいいかなと思っています。

続けられるまでやる

──これから新しく始める活動などはありますか?

まだ具体化してないので詳しいことは話せないのですが、ミャンマー政府と新しい医療プロジェクトを進めています。どちらかといえば治療というよりも予防的なものです。

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ミャンマーの保健省の医療局長、副局長と一緒に。ミャンマーでの新しいプロジェクトについて話し合った時の一コマ

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ミャンマーの貧困地帯を視察。現地の子どもたちと一緒に

カンボジアやラオスで患者さんを見てきてつくづく思うのは、もうちょっと早く病院に来てくれたらなということ。そんな患者さんがたくさんいて、僕1人で治療するには限界があります。だから現地では専門医の育成に力を入れているわけですが、それでも全然追いつかない。中には病状が悪化しすぎてて日本でも治せないような、手遅れの患者さんがたくさんいるんです。そういう人をカンボジアで治せるわけがない。だから、育成も大事ですが、それよりもまず患者さんが病院に早く来てくれることが最優先。病気の早期発見という方向にもっていかないと治せるものも治せないですからね。もっと腫瘍が小さいうちに来てもらっていれば助けられた命もたくさんあるはずなので。こういうプロジェクトをミャンマーだけじゃなく、他の国でもやろうとしています。


──今後の目標は?

今の状態でいつまで体がもつかわからないけど、続くまでやるしかないのかなと(笑)。

小さくまとまるな

──若手医師へ伝えたいことは?

年を取ってから若い人に何か偉そうに言うつもりもないし、そうするのも好きじゃないんですが、伝えたいことがあるとすればもうちょっと広い視野をもった方がいいのかなということです。

スタディツアーなどでたくさんの若い医者と話す機会が多いのですが、夢がないというか、まあまあいい給料をもらって、ちょっといい生活ができたらそれでいいよねという、医者として無難な人生を送りたいという人が多いですよね。将来が読めない時代だから、それもしょうがないのかもしれませんが。

仕事を選ぶ時、楽してそこそこ稼げるとか、なるべくトラブルがない方がいいとか、そういう選び方になってるんですよ。例えば本当は外科をやりたいのに、患者さんと揉めることが多いからそういうのが少ない科にしようとかね。

チャレンジ精神をもてとまでは言わないけれど、もう少し夢をもってもいいのかなと思います。そのためにはもう少し視野を広げないといけないのかなと。

岩田雅裕-近影4

かく言う僕だって若い時はやりたいことがわからなかったわけで、最初から海外で医療活動をしてたわけじゃないのですが、海外にたくさん行った人間から言わせもらうと、もう少しいろんなところに行って、いろんなものを見た方がいいんじゃないのかなと思います。それは別に貧しい国じゃなくてもいいですよ。最先端のアメリカでもいい。とにかく、せっかく医者になったのだから、狭い視野で小さくまとまるのはもったいないと思いますね。

もう1つは、自分の人生を最初からあまり決めつけない方がいいんじゃないですかね。僕を見ればわかると思うのですが、なるようになるんですよ(笑)。そもそも最初からどうしても医者になりたかったわけじゃないし、外科をやろうなんて、ましてやカンボジアでボランティアで手術をするなんて全く考えたこともなかったですからね。まさかそんなことでメディアに取り上げられるなんて想像もしてなかったし。

だから何をやっても何とかなるから、何でもまずは1回やってみる。いいと思ったらそのまま続ければいいし、ダメだったらやめて方向転換すればいい。僕みたいに53歳からフリーランスの医師になれるんだからどうにかなるんですよ。医者に限らず、若い人はそのくらいでいいと思いますよ。


岩田雅裕(いわた・まさひろ)

岩田雅裕(いわた・まさひろ)
1960年兵庫県生まれ。フリーランス医師

岡山大学歯学部卒業後、個人経営の歯科医院に就職。1年半歯科医師として勤務後、口腔外科を学ぶため岡山大学病院口腔外科へ。臨床と研究に注力し、年間100件以上の手術を行う。1993年、系列の広島市民病院に異動。33歳という異例の若さで口腔外科部長に抜擢。1997年から医療の遅れている中国湖南省で医療支援を開始。2000年に友人の誘いでカンボジアへ。劣悪な医療環境に衝撃を受け、カンボジアでの医療支援ボランティアを開始。唇裂口蓋裂 や腫瘍、顔面骨折、口腔内・頚部などの手術を無償で行う。2013年、より多くの患者を助けたいと、当時勤めていた岸和田徳洲会病院の口腔外科部長の職を辞してフリーランス医師に。以降、より渡航回数は増加。現在はカンボジアに加え、ラオス、ミャンマー、ブータンなど、年間20回以上通っている。18年間で手術をした患者は 3000人を超えた。現地では治療だけではなく、現地の専門医の育成や、妻とともに子どもたちへの健康指導、生活物資の寄与なども行っている。

初出日:2018.01.05 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの