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2016.12.15  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

経営改革

──具体的にはどのような立て直し策を?

関昌邦-近影10

まずは本社の改革を行いました。会社の経営がずっとジリジリ下がっている大きな理由の1つは若手不足だと感じていました。当時社内には50歳前後の社員しかいなかったので、あと10年もしたら社員は誰もいなくなってしまう。しかも彼らはパソコンが使えないし、仕事のノウハウは彼らの頭の中にしかなくマニュアル化されていないから、技術の継承が不可能。このままでは本当にやばいと思うくらい厳しい状況でした。そこで、まずパソコンを導入して社内のIT化を図るというところから始めました。それと社内の若返り化を図るため、若手を採用したかったのですが、その資金がなかったので経費削減を徹底して行いました。それでも限界はあったので、最終的にはリストラにも手を付けざるをえませんでした。

父に相談したら1人ひとりと面談してお前の口から解雇を言い渡せと。それは私にとってあまりにも酷なことでした。小さい頃から工場は僕の遊び場で、社員たちは私を膝に乗っけて弁当を食べさせてくれたり、次の社長はまーちゃんだなと言ってすごくかわいがってくれていましたから。そんな人の肩を私自身が叩かないといけないというのは......。子どもの頃、特に大好きだった人に「すいません、○○さん」と声を掛けだけで、「わかってるよ、まーちゃん」と......胸が張り裂けるようなつらい応答でした。

でも、それを断行したことで、今当社を支えてくれている若い人の多くを採用することができました。私が入社した時は35人いた社員も現在は16人で、その内私が会社に入った時から残ってくれている男性社員は祖父の代から3代勤めてくれている2人。女性は4名。他は私が採用した人たちです。

ショップも改革

──他にはどんな改革を?

関昌邦-近影11

今、セレクトショップになっている会津若松の「美工堂」は、以前は楯やカップ、トロフィーなどの表彰記念品のギフトショップだったんです。お客さんも全然来ないし、たまに来てもすぐ出るような感じでした。なので、入社4年目に店の経営改革にも着手。世界中から取り寄せたデザイン性にすぐれ、ネット上でも価格競争に陥っていないブランディングがしっかりしている付加価値の高い商品、いわゆる北欧デザインなどを中心にしたセレクトショップにリニューアルしました。当時は東北地域、仙台にすらそういうセレクトショップがあまりない時代だったので、お客様の数もかなり増え、2、3時間もずっと店内で商品を見ているという人すら出てきました。それだけ楽しんでくれているということなのでうれしかったですね。

売上げも毎年3~5割の割合で伸び続けたので、私の店舗改革の方向性は間違っていないと確信していましたね。ショップを改革してほどなくBITOWAの販売も始まり、後にNODATEなども加わるようになってきました。漆の芸術祭でもアーティストの展示拠点として盛り上がり、内外の多くの方々に支えていただけるようなお店になっていきました。

そして、セレクトショップの運営11年目に入った今年(2016年)の5月にまたお店の舵を大きく切り直しました。今は、北欧デザインとか「都内のセレクトショップのような品揃え」から脱皮して、「会津というこの土地だからこそ存在しえるローカルの価値を素敵に発信することに重点を置くスタイル」にシフトしたばかりです。以前とはまた違った層にお客さまが拡大し、いい方向に進んでいると思っています。


美工堂外観
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美工堂外観

1階では会津で生まれた数々の逸品が販売されている
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1階では会津で生まれた数々の逸品が販売されている

1階で販売されている、関さんが手掛けた会津漆器の数々(左はノダテマグ、右はiPhoneケース)

2階には北欧デザインなどを中心にしたデザイングッズが

2階には北欧デザインなどを中心にしたデザイングッズが

ショップの隣には本物の蔵を改築した「Gallery蔵舗」がある。現代日本人の心と技が生み出した「普段使いに適う少し上質なモノ」を、地元会津を始め、東京、京都など様々な産地からセレクトして販売している。2階はギャラリーとして開放し、文化的な催事、企画展などにも利用されている。これも関さんが実践した改革の1つ

ショップの隣には本物の蔵を改築した「Gallery蔵舗」がある。現代日本人の心と技が生み出した「普段使いに適う少し上質なモノ」を、地元会津を始め、東京、京都など様々な産地からセレクトして販売している。2階はギャラリーとして開放し、文化的な催事、企画展などにも利用されている。これも関さんが実践した改革の1つ

働くということ

──関さんにとって働くということはどういうことでしょうか。

まずは生きていくための糧(お金)を得るものですよね。会社に勤めていた時代とちょっと違う点は「働くこと=生きること」になってきていること。会社員だった頃は、ライフワークという言葉を「趣味的なイメージ」と捉えてましたけど、今は、ライフワークが仕事で人生そのものになってきています。職人さんたちと新しい物を作ることは楽しいですよ。そして、この地域の人たちに幸せになってもらうために働きたいです。会津があってこその当社だし、当社があることで地域のおもしろさが増す、会津が潤う、というような関係になりたいと思っています。


──今後の夢や目標があれば教えてください。

関昌邦-近影15

会津で商売をさせてもらっている経営者としては、地域の中で少しでもハッピーな人を増やしたいというのが一番大きな目標ですね。まずはもっと経営状態をよくして従業員たちや関わってくれている職人さんたちにハッピーだと感じてもらいたい。それはもちろん金銭的な意味だけじゃなくて仕事の中身、やりがい的な意味においてもです。今、当社は本当に多くの人たちに支えてもらっていると感じています。町の人たちと一緒に取り組んでいる活動も多く、そこで生まれる人のつながりがすごくおもしろいんです。

衰退してきた会津の漆文化を改めて盛り上げて復活させて、会津という価値そのものを国内外にしっかり売り込むことが私たちの世代の使命だと思っているので、そのために頑張りたいです。いまだ力不足ですが、いずれは会津でノダテマグの新作発表会を開催して、東京を始め全国の取り引き先に会津に集まってもらい、職人の工房や会津の街を巡り、こういう場所からノダテマグが生まれているということを体感してもらう。その上でそれぞれの売り場に帰ってお客様に伝えていただきたい。自分たちが作った製品をただ売ればいいというだけではなく、製品から生まれてくる幸せ感をお客様に知ってもらえれば、会津へ行ってみようと思うかもしれません。実際にノダテマグのファンで毎年会津に足を運んでくれている人もいるんですよ。製品がきっかけでこの地を好きになる、知り合った人がきっかけでその製品を好きになる、製品と人と地域性が深くつながって相乗効果で会津の魅力を感じてくれる、そういう人をもっと増やしたいと思っています。

関昌邦-近影16

会津といえば戊辰戦争、白虎隊で有名ですが、教育という意味でも昔からとても熱心な土地柄です。江戸時代、日新館という学校で教えられていた「什(じゅう)の掟」は今でも息づいていて、街にいる幼稚園児ですら、会津の教えとは何かと聞けば、「ならぬことはならぬ」と返せるほどです。武士道の精神がいまだに受け継がれ続けているんですね。このような精神文化は他の地域ではなかなか感じられないかもしれません。外から来た人にも独特な雰囲気だとよく言われます。ここには今の日本人が忘れかけている大事なものが眠っている気がします。この独特の空気は、会津に来て地元の人たちと会話をすれば、必ず感じられると思いますよ。

今後も会津ローカルなコト・モノをどんどん発信して、1人でも多くの人たちにこの地を訪れてほしいですね。うちの店には他にはない「今の会津」の選りすぐりがずらっと並んでいます。会津にお越しの際は、ぜひお立ち寄りいただけたらうれしいです

インタビュー前編はこちら

関 昌邦(せきまさくに)

関 昌邦(せきまさくに)
1967年福島県出身。株式会社関美工堂代表取締役

子どもの頃に観たテレビ番組などの影響で宇宙関係の仕事を志す。会津の高校卒業後、明治学院大学法学部に進学。1992年、衛星通信・放送事業を行う宇宙通信株式会社(現スカパーJSAT株式会社)に就職。DirecTV(現スカイパーフェクTV)の立ち上げなどに従事。2000年、宇宙開発事業団/NASDA(現宇宙航空研究開発機構/JAXA)に出向。将来の通信衛星をどのように社会に利活用できるかを目的としたアプリケーション開発に従事。2003年、会津にUターンし、父親の経営する株式会社関美工堂に入社。2007年、代表取締役社長に就任。BITOWA、NODATE、urushiolなど新しい会津漆器のブランドを立ち上げ、会津塗りの新境地を開拓。その他、自社製品を含めた会津の選りすぐりの伝統工芸品や、世界各地から取り寄せたデザイン性にすぐれるグッズを扱うライフスタイルショップ「美工堂」などの運営を通して、会津の地場産業の素晴らしさを国内外に発信している。

初出日:2016.12.15 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの