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2016.12.01  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

世界で初めて楯を商品化

──関さんが代表を務める関美工堂とはどのような会社なのでしょうか。

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そもそもは1946年、祖父が会津で創業した、全国の競技会、発表会、審査会などで成績優秀者に授与される表彰記念品(楯、トロフィー、カップ、メダルなど)の企画、製造、販売を行う会社です。祖父は非常にクリエイティブな人で、終戦後すぐ会社を立ち上げ、会津の伝統的な漆塗りの技術を使って戦前まで勤めていた表彰記念品業界に役立ちたいと考え、木の板に漆を塗って蒔絵で鷲や兜の絵を描いた「楯」を考案しました。現在は表彰記念品として楯が贈られるのは当たり前ですが、当時はメダルやカップしかない時代。祖父は世界で初めて、楯を表彰記念品として商品化したわけです。以降、「楯といえば関美工堂」という評判が広まり、全国から注文が殺到しました。現在では表彰記念品に加え、一般漆製品、インテリア小物、内装装飾サイン、また各種ノベルティ、セールスプロモーショングッズなど特注・別注品の企画製作も手掛けています。また、それらを販売するショップも運営していています。

事業所としては、会津若松に本社・工場と販売店があり、郡山市や福島市に営業所があります。販売店の方は長年ギフト専門店として営んできましたが、11年前に「b Prese」という看板に衣替えし、当時東北ではあまり売られていなかった商材をそろえ、ライフスタイルショップとして運営してきました。「普段使いに適う少し上質なモノ」というキーワードで、北欧デザインを中心に価格競争に陥っていない付加価値の高い品ぞろえを心がけてきました。10周年を機に、都市部にあるセレクトショップのような品ぞろえではなく、会津という地域性にフォーカスした運営にシフトし、店名も「美工堂」と改名。ありきたりではないうちならではの哲学で生み出す会津塗や、未来を見据えて新しい展開をしている会津木綿や刺子織など地域内の高付加価値商品、また福島に限らず京都など国内ローカルからも現代日本人の心と技が生み出したアイテムを厳選して販売しています。

会津の伝統工芸品や北欧のデザインアイテムなどを販売しているセレクトショップ「美工堂」

会津の伝統工芸品や北欧のデザインアイテムなどを販売しているセレクトショップ「美工堂」

──かなり幅広く事業を展開されていますね。現在の主力商品は?

現在でも当社の生産・売り上げの中心は表彰記念品であるということには変わりはありません。しかし、昭和50年代前半頃にはどんなに生産しても間に合わないほどの繁盛ぶりだったようですが、その後は価格競争の波に飲まれ、またガラスやアクリルなど透明なものが表彰記念品の主流になるなど、塗り楯のニーズは減少し、苦しい状況が続いていました。従業員も昭和50年代の最盛期には100人ほどいたのが、その後どんどん減少。私がこの関美工堂に入社したのは2003年なのですが、その時には35人ほどになっていました。組織の年齢構成も男性は特に50歳前後に集中し、10年経ったら誰もいなくなりノウハウごと失われるような状態でした。それでこのままではまずいと経営の立て直しに着手したんです。

しかし、それまでは東京で、今の仕事とは全く関係のない、通信衛星や放送衛星などを活用する宇宙産業界で働いていたんです。高校卒業後35歳まで都内生活でしたので、表彰記念品、会津塗やこの地域の知識も情報も乏しく、一から学んで新たな人生を歩み始めた感じでしたね。

新しい取り組み

──具体的にはどのようにして会社を立て直していったのですか?

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電話とFAXと足だけで稼ぐ従来型の営業手法に、インターネット環境を整備し、PCを導入するところから始めました。話し合いを重ねて導入したPCも配置後半年は眠っているような状況でしたね。そして組織の組み替え、50歳前後しかいない男性の人員構成の若返り、収益性の悪い事業からの撤退など、さまざまな手を打ってきましたが、終わりなき社内改革は今も続いています。

そんな中、入社後今に至る中で、自分の中での一番大きい意識改革につながったのは、会津漆器協同組合の若手が集う青年部が発端となって始まった、新しい会津塗の製品開発などの取組みに中心的に関わることができたことです。従来品の売上げが右肩下がりで苦しい中、経営を支える新しい軸となる商品を開発しなければならないと思っていましたし、当社の創業の原点である木と漆を使って、職人が手仕事で作る商品、お客様が普段の暮らしの中に取り入れてくれそうなアイテムを作りたい、と思いはじめていました。ただ漆塗りの製品というだけでなく、これからはよりデザイン性が重視されるので、当社の販売店でも扱っている北欧の製品と並べても引けを取らないデザイン性に優れたものを作ろうと思いました。そういう漆器を作ることで地域ぐるみで漆器業界を盛り上げたかったんです。

当社主力商品の表彰記念品の市場は、製造元の当社の先に、都市部のメーカー、仲卸、販売店(スポーツ店や事務機店など)があり、そこを経由して大会本部が購入し、そして貰い手に授けられる。流通に多くのフィルターが介在していて市場のニーズも不満も拾い難い上、さらに一番のネックが、表彰品は受賞者が大会本部から一方的に授与されるものであり、本人が選べるものではないということ。手にして喜んでくれているものなのかとても分かり難い。作り手と貰い手の間に物理的にも精神的にも隔たりがありすぎるのが製造元にとって最もつらいところです。そこで、お客様の生の声をダイレクトに商品の色や形に反映しやすい生活用品を作りたいという思いもあったのです。

BITOWA誕生

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そして、会社に入って1年目には、漆器組合青年部のデザイン開発プロジェクトの立ち上げに関わり、その2年後に経産省中小企業庁のジャパンブランド育成支援事業に応募しました。すると審査に通り、国から数千万円の予算が下りた。業界としてもこれだけ大規模な予算獲得は史上初めてだったので、これまでにない新しい漆器の創造を目指して開発に乗り出しました。商品プロデュースとデザインは国内外で活躍している一線級のプロデューサーとデザイナーに依頼し、製作は当社含め会津の漆器店十数社で担当。そうして2006年に生まれたのが「BITOWA」というブランドです。BITOWAの名称には、「美とは?」と「美と和」の2つの意味が込められています。

BITOWAのコンセプトは、「ホテルライクで上質な空間の提案」。完成した製品は色も形も美しく、すごく好評で、パリの国際展示会を皮切りに、内外の展示会で大勢の人に気に入ってもらえました。ホテルなどの大型施設に商品を供給することになったりと、いい流れも生まれました。しかし、パンフレットには「会津塗りの特徴である堅牢性、装飾性に加えて、使いやすさや美しさを兼ね備えたこれまでにない新しい漆器です」としながらも、製品のほとんどは工業的な作り方、つまりプラスチック製の素地あるいは木製素地にウレタン塗装を施し、価格的に売りやすい商品構成になっていました。

会津塗の業界は、400年以上継承されてきた手仕事の漆製品と、漆でなくカシューやウレタンなどを用いて工業的に発展してきた製品との両輪で支えられています。デザイナーが求める色や、製造や販売のしやすさからすると、BITOWAは漆にこだわる必要もない、というのが関係各社の大半の意見でしたし、私もプロダクトデザインこそが会津塗の新しい扉を拓く第一の鍵と考えていましたので、販売実績を伸ばして会津塗業界を元気にすることがBITOWAの重要な役割だと認識していました。

しかし、事業開始当初から意識していた「本物志向」を志したい思いとの狭間で常に葛藤もありました。そもそも工業的なものはこれまでの各社の数十年の経営の中で、市場規模としては会津塗出荷額の大半を占めるだけの市場を形成してきました。一方で、昔から続く本来の漆塗り製品はどんどん需要が縮小し続けています。BITOWAの商品開発や販売に関わる中、会津塗の原点であり、そして失われつつある漆の手仕事の世界を新しく拓くことこそが、本来目指さねばならぬ方向なのではないか、との思いがどんどん強まっていったのです。

関 昌邦(せきまさくに)

関 昌邦(せきまさくに)
1967年福島県出身。株式会社関美工堂代表取締役

子どもの頃に観たテレビ番組などの影響で宇宙関係の仕事を志す。会津の高校卒業後、明治学院大学法学部に進学。1992年、衛星通信・放送事業を行う宇宙通信株式会社(現スカパーJSAT株式会社)に就職。DirecTV(現スカイパーフェクTV)の立ち上げなどに従事。2000年、宇宙開発事業団/NASDA(現宇宙航空研究開発機構/JAXA)に出向。将来の通信衛星をどのように社会に利活用できるかを目的としたアプリケーション開発に従事。2003年、会津にUターンし、父親の経営する株式会社関美工堂に入社。2007年、代表取締役社長に就任。BITOWA、NODATE、urushiolなど新しい会津漆器のブランドを立ち上げ、会津塗りの新境地を開拓。その他、自社製品を含めた会津の選りすぐりの伝統工芸品や、世界各地から取り寄せたデザイン性にすぐれるグッズを扱うライフスタイルショップ「美工堂」などの運営を通して、会津の地場産業の素晴らしさを国内外に発信している。

初出日:2016.12.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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