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2016.05.16  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

24歳で漫画家デビュー

──漫画の方は全然描いてなかったのですか?

ちえ-近影3

いえ、それが24歳の時、知り合いの紹介で、ある情報誌で連載することになったんです。それまで漫画を載せたことがない媒体だったので自由に描けて楽しかったですね。ジャンルはストーリー漫画で3年間連載したのですが、このとき小池塾で学んだことがすごく役に立ちました。


──特にどういう点が役に立ったのですか?

一番役に立ったのは先ほどお話した、クライアントから求められている枠の中でおもしろいものを締め切りまでに毎月きっちり描くということです。だから締め切りが苦しいと感じたことは1度もありませんでした。

また、小池先生の漫画制作の哲学は、「漫画はキャラクターが命だからキャラクターづくりが一番重要であり、キャラが立った主役さえ生み出せれば、あとは勝手に動いてくれる。だから漫画家はカメラマンに徹して追っていけばいい」というものでした。それを忠実に実践したおかげで1度もアイディアに詰まったこともないんです。

連載を重ねていくうちに読者もついてきたのですが、連載から2年半ほど経った時に情報誌の発行元の事情で打ち切りの話が出ました。でも私の漫画を楽しみにしているファンのために原稿料はいらないから最終回まで描かせてほしいと頼み込んで最後まで描ききったんです。これは1つの大きな自信になりましたね。

漫画を生み出す作業机(左)と作品(右)

上京を決意

──大学を卒業後はどうしたのですか?

ちえ-近影4

3年間の漫画連載をやり遂げたことで再び漫画への情熱が燃え上がりました。当時、小池一夫先生が神奈川工科大学で漫画の作り方を教えていたので、もう一度漫画を勉強し直そうと聴講生として毎週通い始めたんです。その時、講義の場以外でも漫画家が集まる会に積極的に参加して、第一線で活躍している漫画家の話を聞いて刺激をもらって名古屋に帰っていました。

また、名古屋でも東京でもいろんなパーティーや異業種交流会などに参加して名刺を配りつつ「漫画家です。仕事をください」と営業活動をしたり、アルバイト先の飲食店で知り合ったお客さんに売り込んで時々イラストや漫画の仕事をいただいて描いてました。でもそれだけでは全然生活していけず、メインの収入源はアルバイトでした。自分でも向いていると思っていたしけっこう稼げていたのですが、目標はあくまでも漫画で食べられるようになることだったので、このままではいけないと悩んでいました。そんな時、東京の知り合いの漫画家が、漫画家を集めて会社を作るから一緒にやらないかと誘ってくださったので、東京に出ることにしたんです。

ちえ

歌う漫画家 ちえ[本名:宮本千愛(みやもと ちあい)]
愛知県生まれ。流し

大学時代から昭和歌謡のバンドを組んで歌い始める。集英社「YOU」で初めて描いた漫画が期待新人賞を受賞。プロの漫画家を目指し、小池一夫塾に1期生として入塾。漫画制作の技術を学ぶ。修了後、名古屋造形芸術大学短大に入学。24歳の時漫画家デビュー。地元名古屋の情報誌で連載しつつ、広告漫画などを描いていたが、漫画家としてのステップアップを求め、2010年上京。漫画を使った結婚式ムービーや企業紹介ムービーを作る会社で営業を1年経験した後、同業他社へ営業兼登録漫画家イラストレーターとして移籍。ちょうどその頃、ガロ系漫画家・東陽片岡氏に出会い、四谷荒木町で国内の最高齢流しの新太郎氏を紹介される。2012年7月、東陽氏の勧めで新太郎氏に弟子入りし、「しんちゃんちえちゃん」を結成。新太郎氏のマネージャー兼歌う漫画家ちえとして新太郎師匠と一緒に荒木町を流し歩き、演歌歌謡曲を歌ったり、お客の似顔絵を描いたりしている。その他にも「歌」「漫画」「イラスト」「切り紙」など多方面でアーティストとして活動中。ちえさんが作成したLINEスタンプ「流し新ちゃん&ちえちゃん」「流し新ちゃん&ちえちゃんその2」好評発売中。


流し紹介ムービー

  • 『荒木町の新太郎』

  • 『荒木町の夜』

  • 流し以外のバンド活動記録
    youtubeチャンネル

初出日:2016.05.16 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの