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2016.01.22  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

運命を変えた震災

川崎直美-近影7

──原発が爆発した時、川崎さんは逗子を離れようとは思わなかったんですか?

その時はめちゃくちゃ悩みました。でも悩んだ末に出ないと決めたの。いったんはね。トランジション葉山に参加して、地域に仲間と呼べるような友人もたくさんできた。地域通貨も立ち上げて、これからもっと地域のために活動し、地域の人たちと支え合いながらこの土地で長く生きていこうと決めたばっかりなのに、原発が爆発したからといって逗子葉山の仲間を見捨てて逃げていいのかという葛藤がすごくあったの。当時はトランジション葉山のメーリングリストは、避難するとか残るとか、車を出すから乗りたい人は一緒に行こうとかメンバー間ですごく情報が飛び交ってたのね。だけど私はやっぱりここを捨てられないから残ろうと決めて、「私は避難しないで逗子に残ります」と書き込んだの。

その直後に同じメンバーの親友から電話がかかってきて、「あなたは1人で自由が効くんだから今すぐ逗子から出た方がいい」と言われたの。その時はちょっと考えさせてと一回電話を切ってどうしようと悩んでいたら、次から次へと友だちから電話がかかってきて、「早く出た方がいい」と口々に言うのね。最後に電話をかけてきた友だちに「絶対、今すぐ出た方がいい!」って強く言われて、みんながそんなに出ろって言うのならそうした方がいいのかもと思い、3月13日に取りあえず荷物をまとめて新幹線に乗って神戸の実家に行きました。


──それからどうしたのですか? 何かプランはあったのですか?

川崎直美-近影8

プランなんて何もないわよ(笑)。実家に泊まった翌日、最初に電話をかけてきてくれた親友と他の2人の友人と神戸で合流して、友人の車で取りあえず西の方へ行こうということになりました。まずは出雲大社に行ってお参りした後、トランジション葉山を立ち上げた人が移住していた九州の阿蘇へ行き、何日か泊めてもらいました。その後別府や国後半島を回って、原発反対運動をやってた山口県の上関、そして祝島から瀬戸内を回って神戸、淡路島に行きました。その間、移住先を探そうといろいろ見て回ったんだけど、ここに住みたいとピンと来る場所がなかったの。阿蘇はおもしろい人がたくさんいてすごくよかったんだけど肝心の海がない。一番可能性があったのは淡路島だった。神戸というおしゃれな大都会にも近いし海に囲まれてるしね。

でもそうこうしているうちに月末になってきて、いろいろ支払いもあるし、お金もどんどん減っていく一方だし、いつまでもうろうろしてるわけにはいかない(笑)ということなり、4月2日に逗子に帰ったの。

運命的な物件との出会い

──逗子に帰ってからはどうしたのですか?

川崎直美-近影9

半月ほど西日本を放浪しても移住したいという土地も見つからなかったし、気持ちもだいぶ落ち着いてきたからやっぱりここで地域の人たちと生きようと決めたの。でも当時住んでた逗子の家の家賃がけっこう高くて、定期収入もないのにこんな高い家賃を払ってる場合じゃない、まずはもっと生活をスリムダウンしなきゃと思って、当時の家賃の3分の2程度の物件を探し始めました。

そんなとき、生後数ヶ月の赤ちゃんのいる友人が葉山からご主人の実家の四国に移住するって聞いたの。彼女はオリジナルのヘンプウエアを作って販売していたんだけど、その工房兼店舗として使っていた家がとても広くて、工房や店舗スペースの他にリビングと寝室もあって十分生活できる広さだったのね。でもそれだけ広いと家賃も高いだろうなと思ってたから眼中になかったんだけど、家賃を聞くと私が新しく設定した金額そのものだったのよ。この広さを考えたら破格に安いし、しかも店舗スペース付きで海まで2分。これはもうここに住んでまた店をやれってことだと思って、すぐここに入るって決めたの。それで2011年5月にここに引っ越して、7月に「レパスマニス」を開店したのよ。

川崎直美(かわさき なおみ)

川崎直美(かわさき なおみ)
1951年神戸市生まれ。レパスマニス店主/地域活動家

神戸に暮らしていた10代は、ヒッピー文化の影響を受け自由な生き方にあこがれる。16歳で高校中退後、アルバイト生活。大阪万博のアルバイトで知り合ったスウェーデン人の女性に触発されて20歳のとき世界一周の旅へ。途中で立ち寄ったバリにハマり、バリを拠点に生活スタート。23歳のときタイで出会ったアメリカ人男性と恋に落ち、24歳で娘を出産。生活拠点をハワイに移し、バリとハワイを行き来する暮らし。28歳のときパートナーと離別、日本に帰国。様々なアルバイトを経験後、東京で外国人タレントのマネジメント事務所で働くようになる。計2社で約4年勤務した後に自ら外国人タレントのマネジメント事務所を起業。バブル景気に乗り、大成功を収めるも、12年経営した後に廃業。1994年単身、アメリカに渡り古い中古車を購入し、中西部のネイティブアメリカンの土地をめぐる。半年間で1万6000キロを走破。帰国後は逗子に移住。渋谷に自然生活雑貨店「キラ・テラ」を開店。2年後、大手自然食材企業に吸収、社員となり、横浜の店で勤務。12年勤めた後、退社。地域活動にのめり込む。2011年に葉山に移住、自然生活雑貨店「レパスマニス」開店。現在はレパスマニス店主を務めるかたわら、葉山町をみんなが暮らしやすくする町にするために様々な活動に尽力中。

初出日:2016.01.22 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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