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2016.01.22  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

エコブームに乗って拡大

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──ナチュラル・ハーモニーではどのような仕事をしていたのですか?

入社して数年間はプランツの中に移転したキラ・テラの店長をやっていたんだけど、ちょうどその頃社会でエコ志向がどんどん盛り上がって、ブームみたいになったのね。それにつれて会社の売上も増えて規模もどんどん大きくなり、私の社内のポジションも上がって、やる仕事も増えていきました。

社長は私のセンスを認めてくれてて、雑貨事業部長になった頃にはキラ・テラだけじゃなくてナチュラル・ハーモニー社内全体のデザイン監理、例えば社員の名刺から会社の封筒、店舗のロゴ、看板から新しく出すお店の内装までほとんどのデザインを任されていたの。他にもオリジナル商品のパッケージ、イベントの企画運営、女性社員の教育などもやってました。

当時はオーガニックコスメが海外から次から次へと入ってきて、新しいメーカーもどんどん参入してきてた時期だったのね。私もこの業界の第一線にいたかったからアンテナを張り巡らせて情報を収集したり、新製品が入ってくると即買って自分で使ってみたり研究・分析したりしてた。最初の頃はそういうことも楽しかったんだけど、何年もやってると段々疑問を感じてきちゃって。結局、シミやシワを隠すためによりいいもの、より新しいものを開発するのって、競合他社に負けないようにより多くのお客様に売るためだよね。やってることって、原材料がオーガニックでも一般の大手化粧品会社と同じじゃん、それって本当に私がしたかった仕事なのかな? と疑問に思うようになったのよ。

仕事もすっごく忙しくなって渋谷で自分のお店をやってた頃よりも勤務時間が増えたのね。結局1日14時間くらい働いていて、1時間以上かけて逗子に帰ると晩ごはんを作る気力も全然なくて、適当に外食したり閉店間際のスーパーで惣菜を買って食べて寝るだけ。週6日もそういう状況だと休みの日なんて昼過ぎまで起きられないし、起きても掃除洗濯で1日終わっちゃう。大好きな海で遊ぶ元気なんてない。その繰り返しで以前にも増して何のために逗子に住んでるのかわかんないって感じになったのね。「エコロジカルで豊かなライフスタイルを提案する」という事業理念を掲げている会社で働いているのにこれってどうなんだろう、暮らしという意味でも私が望んだ生活とは程遠いと感じるようになったのよ。

川崎直美-近影5

それを少しでも変えたかったのと、体力的にもきつかったので、毎日私がお店にいる必要はないし、私のやってる仕事のほとんどが自宅のパソコンでできてたから、社長に出勤は週2日程度であとは自宅勤務にしたいと言ったの。そしたら許可してくれたから、状況はだいぶよくなったのね。でも、会社の規模が大きくなるにつれて段々自由が効かなくなってきたし、入社10年目くらいの頃、他の社員、特に新しく入ってきた人たちから「どうして直美さんだけ自由なの」みたいな不平不満が社内で段々増えてきたらしくてね。それで社長から、他の社員と同じように毎日ちゃんと出勤、しかも大好きなKILA・TERAではなく、世田谷の本社に出勤するように言われて。そうなると通勤に往復3時間もかかるから絶対嫌だと思って2010年10月に会社を辞めたの。


──辞めてからのプランはあったんですか?

一度はまた以前のように自分でオーガニック雑貨のお店をやろうと思ったんだけど、とても経済的な余裕がなかったから取りあえずインターネット上にショップを立ち上げて洋服と雑貨の販売を始めました。

あともう1つ、会社を辞めたら地域活動に本格的に取り組もうと思ってたの。そもそものきっかけは会社を辞める前、2009年1月に地域をより住みやすくするために活動しているトランジション葉山という団体の会合に行ったこと。

地域活動にのめり込む

──その頃から地域活動に強い関心があったのですか?

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いや、そういうわけじゃないのよね。地元の友人に誘われて何となく参加したのがトランジション葉山の最初の会合。「持続可能」とか「エコロジカル」という言葉に惹かれたのかな。会場では70人くらいの地元の人が集まってて、いろんな人が問題提起して、それに興味がある人がそのグループで話し合うオープンスペーステクノロジーという手法をやっていました。その中で私は「地域で経済を回す」というテーマのグループに参加したの。そこに集まっていたのは、東京に1時間以上かけて働きに行って逗子の自宅には寝に帰るだけという私みたいな人たち、いわゆる「神奈川都民」が何人もいましたね。自分が好きで暮らしている土地なのに、そこで過ごす時間がほとんどなくて、東京でお金を稼ぎ、東京で落としてる。これじゃ東京のために働いてるみたいでちょっと違うなという問題意識をもっている人たちばっかりだったのね。

自分の住んでいる地域でお金を稼ぎ、地域のためにお金を遣うという、地域で経済を回す状況を作ろうと彼らといろいろ議論したんだけど、この時初めて地域の中で同じようなことを感じている人や気の合う人と話せてすっごい楽しかったのよ。それ以降地域のために活動したいと本格的に思うようになったの。このグループが発端となって生まれたのが地域通貨「なみなみ」なんです。(※インタビュー前編参照)。2009年1月の最初の会合から有志でミーティングを重ね、10月に19人で試運転開始、2010年4月に本格スタートしたの。参加者は一時期は100世帯を越えてたんだけど、3.11の東日本大震災で福島原発が爆発したことで逗子・葉山を離れる人が増えて今は50世帯くらいかな。

川崎直美(かわさき なおみ)

川崎直美(かわさき なおみ)
1951年神戸市生まれ。レパスマニス店主/地域活動家

神戸に暮らしていた10代は、ヒッピー文化の影響を受け自由な生き方にあこがれる。16歳で高校中退後、アルバイト生活。大阪万博のアルバイトで知り合ったスウェーデン人の女性に触発されて20歳のとき世界一周の旅へ。途中で立ち寄ったバリにハマり、バリを拠点に生活スタート。23歳のときタイで出会ったアメリカ人男性と恋に落ち、24歳で娘を出産。生活拠点をハワイに移し、バリとハワイを行き来する暮らし。28歳のときパートナーと離別、日本に帰国。様々なアルバイトを経験後、東京で外国人タレントのマネジメント事務所で働くようになる。計2社で約4年勤務した後に自ら外国人タレントのマネジメント事務所を起業。バブル景気に乗り、大成功を収めるも、12年経営した後に廃業。1994年単身、アメリカに渡り古い中古車を購入し、中西部のネイティブアメリカンの土地をめぐる。半年間で1万6000キロを走破。帰国後は逗子に移住。渋谷に自然生活雑貨店「キラ・テラ」を開店。2年後、大手自然食材企業に吸収、社員となり、横浜の店で勤務。12年勤めた後、退社。地域活動にのめり込む。2011年に葉山に移住、自然生活雑貨店「レパスマニス」開店。現在はレパスマニス店主を務めるかたわら、葉山町をみんなが暮らしやすくする町にするために様々な活動に尽力中。

初出日:2016.01.22 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの