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2016.01.22  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

自分の店を開く

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──アメリカでインディアン居留地をめぐる旅から日本に帰国した後はどうしたのですか?

1994年10月に日本に帰国して1年掛けていろいろ準備して、1995年11月にエコロジカルでオーガニックな生活必需品を販売するお店「キラ・テラ(KILA・TERA)」を渋谷にオープンしました。自分が日々使っているモノを中心に、一日の生活の中で誰もが使う生活用品すべてがエコなもので揃うように探しまくって、実際に自分で使ってみていいと思った物だけを選びました、例えばエコ歯ブラシや歯磨き粉、洗剤、バス用品、基礎化粧品、オリジナルのオーガニックコットンの洋服、再生紙のステーショナリーなどを扱っていました。当時はまだエコロジカルでオーガニックな製品自体が少なかったから探すのがたいへんだったのよ。お店ではアルバイトの女性を1人雇ってたけど、もちろん私自身も商品の陳列、販売、接客、経理など全部やってました。


──お店は繁盛したんですか?

いえ、けっこう赤字続きで苦しかったですね。当時はまだまだエコというと、ダサいとか、貧乏くさいとか、めんどくさいというイメージがすごく強かったのよ。だからそういうイメージを払拭したくて、おしゃれなお店にしたかった。元々エコに興味がある人よりも、普通の人がおしゃれでかわいいお店だからと普通に買い物に来るお店にしたかったの。当時こんなお店は他には全くなかったね。でも勤務時間だけは長かった(笑)。お店の開店時間は11時から20時までなんだけど、お店を閉めた後もやることは山ほどあったから終電ギリギリまで仕事をしてたの。当時は逗子に住んでたから通勤もけっこうたいへんだった。


──なぜ逗子に住んでいたのですか?

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アメリカに行く前に世田谷のマンションを引き払っていて、帰って来たときは住む家がなかったから、取りあえず友だちの家に居候しながら新しく住む家を探してたの。店の場所は渋谷・原宿・青山近辺って決めてたから、最初は世田谷区内で渋谷まで20分ぐらいの所を探してたんだけど、なかなか気に入ったところが見つからなかった。不動産屋さんに「あなたの希望条件を満たす物件は世田谷区や目黒区には絶対にない」って言われちゃって(笑)。その頃には外国人のタレント事務所を経営していたときに稼いだお金は全然なくなっちゃってたからね。不動産屋さんに、渋谷まで一本で行けるけれどもう少し離れたエリアで検討しましょうと言われて探したんだけど、これだという物件やエリアに出会えなくて。じゃあいっそのこと湘南はどうですかと言われたとき、えっ、"湘南"? なんとも魅惑的なこの響き、あこがれの湘南じゃん! 元々海が好きだったから、そりゃあ湘南でしょう、と思っちゃったのね(笑)。それで逗子にいい物件があったから引っ越したってわけ。庭付き南向きで日当たりもよくて、窓から海が見えたからすごく気に入っちゃった(笑)。


──でも逗子から渋谷まで毎日通うのはけっこうたいへんじゃなかったですか?

タレント事務所の仕事をやってるときは、24時間365日働いているようなものだったから仕事とプライベートの境目なんかなかった。自宅の一室を事務所にしてたしね。でもお店は営業時間が決まってるから、閉めた後は自分の時間になる。仕事は渋谷、プライベートは逗子ってきっちり分けられるライフスタイルっていいかもと。だから通勤に1時間かけても逗子に住んでもいいやと思ったんだけど、全然そうはならなかったわけ(笑)。さっきも話した通り仕事は営業時間内に全然終わらず、けっこう遅い時間まで店で仕事して、逗子の家には寝に帰ってるだけみたいな。1時間かけて通うのが段々つらくなってきたんだけどすぐ引っ越すわけにもいかないから我慢して通ってたのよ(笑)。

別企業に吸収

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それでお店を開いて2年ほど経った頃、知り合いから自然食材を販売している会社「ナチュラル・ハーモニー」の社長を紹介されました。彼は横浜市の郊外で自然食品やエコ雑貨などのお店が入っている「プランツ」という複合施設にお店を出していたんだけど、そこに出店しないかと誘われたの。とにかく一度見に来てほしいと言われて行ったら、大きな倉庫を改装したお店で、表に「ナチュラル&オーガニック」と書いてある大きな看板を掲げてた。でも店内に入ってみると、ナチュラル・ハーモニーのお店以外では、これのどこがオーガニックなの? という商品だらけだったのね。知らない人が見てこういう物がオーガニックなんだと認識したらヤバいなと思って社長に話したら「やっぱりそう思うか、ちゃんと本物のオーガニックの商品を扱う店を一緒にやろう」と言われたの。でも私は2店舗目を出す余力はなかったから、どうすれば実現できるか、社長と何度も話し合って。その結果、最終的に彼がキラ・テラを買収して、私がナチュラル・ハーモニーの社員になり、プランツの中でキラ・テラを営業するということになったの。


──自分で開いたお店を手放すことや、組織の一員になることに抵抗はなかったのですか?

私はキラ・テラを作る時、自分1人でできる範囲の商品のみに絞って販売しようと思っていたのね。だから日用品や生活雑貨以外の部分、食品や家具などは最初から扱うつもりはなかった。でもナチュラル・ハーモニーとコラボして私が扱わない分野の仲間を増やせれば、私が本来やりたかった「エコロジカルなライフスタイルの普及」がもっとトータルに幅広い分野で実現できるかもと思ったのね。また、私は経営者とか代表者というポジションに何のこだわりもないし、別に一社員になってもやりたいことがやれればよかった。社長はプランツにお店を移すとしてもキラ・テラという名前はそのまま残して、それまで通り私の好きなようにやればいいと言ってくれたから、社員になることにしたの。自分でお店を経営するより何かと楽だからいいと思って(笑)。

川崎直美(かわさき なおみ)

川崎直美(かわさき なおみ)
1951年神戸市生まれ。レパスマニス店主/地域活動家

神戸に暮らしていた10代は、ヒッピー文化の影響を受け自由な生き方にあこがれる。16歳で高校中退後、アルバイト生活。大阪万博のアルバイトで知り合ったスウェーデン人の女性に触発されて20歳のとき世界一周の旅へ。途中で立ち寄ったバリにハマり、バリを拠点に生活スタート。23歳のときタイで出会ったアメリカ人男性と恋に落ち、24歳で娘を出産。生活拠点をハワイに移し、バリとハワイを行き来する暮らし。28歳のときパートナーと離別、日本に帰国。様々なアルバイトを経験後、東京で外国人タレントのマネジメント事務所で働くようになる。計2社で約4年勤務した後に自ら外国人タレントのマネジメント事務所を起業。バブル景気に乗り、大成功を収めるも、12年経営した後に廃業。1994年単身、アメリカに渡り古い中古車を購入し、中西部のネイティブアメリカンの土地をめぐる。半年間で1万6000キロを走破。帰国後は逗子に移住。渋谷に自然生活雑貨店「キラ・テラ」を開店。2年後、大手自然食材企業に吸収、社員となり、横浜の店で勤務。12年勤めた後、退社。地域活動にのめり込む。2011年に葉山に移住、自然生活雑貨店「レパスマニス」開店。現在はレパスマニス店主を務めるかたわら、葉山町をみんなが暮らしやすくする町にするために様々な活動に尽力中。

初出日:2016.01.22 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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