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2016.01.12  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

後悔はしない主義

──結婚しなくて結果的によかったと思いますか?

川崎直美-近影7

よかったと思いますよ。というか私はこれまでの自分の人生で、その時その時でこれが一番いいと思ったことをやってきたから、あの時こうした方がよかったと後悔することはないなぁ。後悔というよりは判断として、こうした方がよかったのかもしれないと思うこともなくはないけれど、いずれにしろそれはすでに過去のことで、もう変えられない過去にああだこうだ言うより、前に進んだほうがいいよね。もしそれが間違いだったのなら、同じことをやらなければいいんだしね。またそういった失敗も含めた過去の上に今の自分が存在している。それが今の私を作っているわけだからね。


──パートナーの男性と別れてからはどうしたんですか?

彼はアメリカ本土に帰ったし、私も4歳だった娘と2人で日本に帰国することにしたの。この先どうなるんだろうみたいな不安があったし、小さい娘を自分1人で育てていかなければならないのならビザの心配がなくて安心して働ける場所じゃないとダメ。そうなると日本しかなかったのよ。

もう1つ、娘の教育のことを考えたら初等教育は絶対日本で受けさせたいと思っていたの。だって英語は大人になってからでも喋れるようになれるし、読み書きだって26文字しかないんだからそんなに難しいことじゃない。でも日本語はそうはいかない。日本語をペラペラに喋れる外国人はいるけど、読み書きも不自由なくできるかというと、なかなかそういう外国人はいないよね。会話はできても読み書きは相当難しい。だから日本の小学校に通わせて日本語の基礎を覚えさせたいと思って1979年、28歳のときに日本に帰国したんです。

日本に帰国、起業

──帰国してからはどうしたんですか?

川崎直美-近影8

最初は友だちに紹介してもらった人の家を間借りして住んでたの。東京の調布っていうところ。とにかく娘と2人食べていくためにいろんなことをやったね。友だち3人で3万円ずつ出しあってボロボロの軽トラックを買ってチリ紙交換をやったり、和風喫茶のウエイトレス、友だちのお店のまんじゅう屋の店員、花屋の店員とかいろんな仕事を必死でやりました。

そんなある日、子どものモデル募集の広告を新聞か何かで見て、うちの娘はハーフだからいいかもしれないと思ってタレント事務所に登録しに行ったのね。これまでの経験をいろいろ話したら、その事務所で働かないかと言われたの。でも子どもがいるからそんな夜まで働けないとか、5時に退社して保育園の迎えに行かなきゃいけないとか話したんだけど、全部条件を飲んでくれたのよ。それなら大丈夫だと思ってその事務所で働くことにしたの。その後、別のタレント事務所で働いた後、独立して外国人のタレント事務所を立ち上げたんです。


──起業してから経営の方は?

当時はバブルだったし、ちょうどフジテレビのトレンディドラマが隆盛を極めた時代で、そこにうまいことハマったの。どんどんタレントも増えたしね。といってもプロのタレントじゃなくて、例えばフリーのモデルさんや、日本に住みたいから個人で英語を教えている人みたいな半分素人みたいな外国人で、自分で見つけてきたり、知り合いに紹介してもらったりして増やしていきました。

当時はものすごく儲かってたけど、その代わりめちゃめちゃ忙しかった(笑)。24時間フル稼働で休みもほとんどなかった。そういう生活が12年くらい続いたんだけど、そろそろ潮時かなと思って事務所をたたんでアシスタントの子に譲ったの。

会社をたたんだ理由

──なぜそんなに経営が順調だったのに会社をたたんだのですか?

川崎直美-近影9

まず、12年もやってると仕事がルーティンになっちゃうでしょ。仕事のやり方が全部わかってるから手のひらで転がせる。そうなると自分が仕事を通して成長しないよね。それがつまらなくなってきて、この仕事を辞めて何か新しいことに挑戦したいという気持ちが段々強くなっていったの。

実は事務所をたたむ2年ぐらい前に、イルカ・クジラの研究・保護活動をしているアイサーチっていう団体が主催したジャック・マイヨールの講演会に参加したのね。その時にその団体のメンバーたちと知り合って何となく付き合ううちに団体の活動にハマって、1994年に日本の江ノ島で初めて開催された第4回国際イルカ・クジラ会議の実行委員長をやることになったんですよ。準備に丸2年くらいかかったんだけど、最後の1年くらいは本業を放り出してそればっかりやってたの。その頃、もう事務所をたたむ時期かもと思い始めて、半年かかってたたむ決心をし、さらに半年かけてたたむ準備をし、1993年12月に本当にたたんだの。その後4ヶ月間はイルカ・クジラ会議に没頭しました。ボランティアだったけど、当時は稼いでたから何の問題もなかったのよ(笑)。


──事業を12年かけて育てて、たくさん稼げていたのなら、普通はそう簡単にはたたまないですよね。お金に執着がないというか、儲けたいという気持ちはないんですか?

儲けたいわよ!(笑)。でもお金儲けがヘタなのよ。だから今、困ってるのよね(苦笑)。


──事務所をたたむ時、娘さんはまだ高校生ですよね。生活の不安ってなかったんですか?

娘は14歳のときにアメリカのお父さんのところに行かせてたからその時は日本にいなかったのよ。娘は日本人とアメリカ人のハーフだから、アメリカ人としてのアイデンティティをしっかりもたせてあげるためにもアメリカで生活させた方がいいかなというのと、英語を覚えるのも14、5才ぐらいからがベストと思って、アメリカのお父さんのところに行かせたの。


──だから経済的な心配はあんまりなかったんですね。

とはいってもアメリカに仕送りもしてたんだけどね。娘に「会社をたたむことにしたから今までみたいに定額をコンスタントに送れないかもしれない。次何をするかも明確には決めてないけど、何か自分が好きなことで環境にいいことをしたい」と言ったら、それはすごくいいことだから好きなことをすればいいよと言ってくれたの。

川崎直美(かわさき なおみ)

川崎直美(かわさき なおみ)
1951年神戸市生まれ。レパスマニス店主/地域活動家

神戸に暮らしていた10代は、ヒッピー文化の影響を受け自由な生き方にあこがれる。16歳で高校中退後、アルバイト生活。大阪万博のアルバイトで知り合ったスウェーデン人の女性に触発されて20歳のとき世界一周の旅へ。途中で立ち寄ったバリにハマり、バリを拠点に生活スタート。23歳のときタイで出会ったアメリカ人男性と恋に落ち、24歳で娘を出産。生活拠点をハワイに移し、バリとハワイを行き来する暮らし。28歳のときパートナーと離別、日本に帰国。様々なアルバイトを経験後、東京で外国人タレントのマネジメント事務所で働くようになる。計2社で約4年勤務した後に自ら外国人タレントのマネジメント事務所を起業。バブル景気に乗り、大成功を収めるも、12年経営した後に廃業。1994年単身、アメリカに渡り古い中古車を購入し、中西部のネイティブアメリカンの土地をめぐる。半年間で1万6000キロを走破。帰国後は逗子に移住。渋谷に自然生活雑貨店「キラ・テラ」を開店。2年後、大手自然食材企業に吸収、社員となり、横浜の店で勤務。12年勤めた後、退社。地域活動にのめり込む。2011年に葉山に移住、自然生活雑貨店「レパスマニス」開店。現在はレパスマニス店主を務めるかたわら、葉山町をみんなが暮らしやすくする町にするために様々な活動に尽力中。

初出日:2016.01.12 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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