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2015.09.15  取材・文/山下久猛 撮影/大平晋也

最初の夢は教師だった

──みなさんがミュージシャンを志した理由と経緯を教えてください。

わたなべだいすけ-近影1

わたなべだいすけ(以下、わたなべ) 「僕は最初からミュージシャンを目指していたわけではありません。最初の夢は小学校の先生でした。その原点は小学校1、2年生のときの担任の先生にあります。朝、教室に入るなりギターを弾いてみんなで一緒に歌うというちょっと変わった男の先生で、それがとても楽しかった。その先生にあこがれて僕も中学3年生のときからギターを始めて、高校3年生のときに曲を書き始め、将来は僕もギターを弾いて子どもと一緒に歌える先生になりたいと思っていました。僕はうたを作るとき、1回聴いただけで子どもにもわかるようなうた、意味がわかるようなうた、すぐ覚えられて一緒に歌えるようなうた、そしてちょっとしたメッセージが込められているようなうたを作ることを心掛けているのですが、それは確実にその担任の先生の影響です。それが僕の音楽スタイルのルーツですね。

それで大学受験では教育学部を受けたのですが、落ちてしまって。あのときもし受かっていたら、今はきっとどこかの小学校の先生をしていると思います。


──教育学部の大学に落ちてからミュージシャンを目指そうと思ったのですか?

わたなべ いえ、放送の仕事にも興味があったので、日本大学芸術学部(日芸)放送学科へ進学し、テレビやラジオの制作について勉強しました。こちらの方がおもしろければ放送の道に進もうと思っていたのですが、やっぱり自分で曲を作って歌うのが一番楽しいなと改めて思ったんですよね。それで就職活動を一切せず、卒業後、アルバイトをしながら音楽活動を開始。曲を作って1人でギターを抱えてライブハウスなどで歌い始めました。それがスタートですね。


──大学を卒業して就職せずにミュージシャンを目指すと言ったとき、ご両親は反対しなかったのですか?

わたなべ 実は大学は日芸ともう一つ、神奈川県にある大学の経済学部にも受かっていて、親としてはそっちに入学して将来は普通にどこかの企業に就職して会社員になってほしいと思っていたらしいんですね。でも僕が日芸を選んだ時点であきらめて、お前のやりたいようにやれと言ってくれたんです。入学してから日芸の友だちを実家に連れて来たとき、母がその友だちをすごく気に入って、こういういい友だちができたんだから日芸に行かせてよかったと喜んでくれました。父は大学に行くときに「他人に迷惑をかけることだけは絶対するな。あとは好きにしろ」と言ってくれました。それはいまだに心に留めていて、「何をするにしてもまず親に言えないようなことはしない。他人に迷惑をなるべくかけない」ということは根っこの部分にもっています。そんな両親だったので、就職せずにミュージシャンを目指すと話したときも全く反対されませんでした。


──すごくいいご両親ですね。

わたなべ 僕もそう思います。ただ、僕自身としては両親に対して、大学まで行かせてもらったのに申し訳ないという後ろめたい気持ちをいまだにどこかにもっています。だからこそ、両親がそろってライブを観に来てくれたことがすごくうれしかったわけです。

余談ですが、先ほど小学校の先生になりたかったという話をしましたが、実は今、それに近いことをしていて、知人のつてで小学校に行って夢を叶えることについて子どもたちに話したり、一緒にうたを歌ったりしているんです。それは僕のライフワークだと思って取り組んでいて、僕1人でも、ニコルズとして行くこともあります。

大学卒業後、プロを志す

鈴木健太-近影1

鈴木健太(以下、鈴木) 僕は栃木県の鹿沼市出身で、中学生のときにギターを始めました。きっかけは本当に何となく、ですね。父が趣味でフォークギターを家でよく弾いていたり、両親が音楽好きで家でよくレコードをかけていたりと、音楽が身近にある環境で育ちました。でもずっと僕はゲームばかりやっていたので、あるとき両親に何か趣味を探したらと言われたんです。それで、家にギターがあるしやってみるかなと、そういう軽いノリでギターを始めました。でもギターを始めてみたらおもしろくて、それまで夢中になっていたゲームもパタっとやらなくなり、どんどんギターにのめり込んでいきました。

僕は元々1つのことをやり始めたらとことんハマる性格で、中学のときにすでに「ギターのようなすごくおもしろいことを見つけたから、できれば将来は音楽を職業にしたい」と作文に書いているんです。高校に入ってからは友だちとバンドを組んで、ライブハウスで演奏していました。高校卒業後、一緒にバンドをやっていた友だちの多くはプロのミュージシャンを目指して東京に出て行きました。でも、僕はそんな勇気も度胸も自信もなくて、地元の国立大学に進学したのですが、結局4年間ひたすらバンドをやっていました。当時はこの4年間を猶予期間ととらえ、将来の身の振り方を決めようと考えていました。

でもいろいろ考えたのですが、やっぱり音楽以外にやりたいことがなくて、僕も就職活動を一切せず、卒業後はアルバイトしながら地元で音楽活動をすることにしました。将来、音楽で何とか身を立てたいと本気で思い始めたのはこの頃ですね。それまでは自分なんかがプロになんてなれるわけない、プロの世界で通用するわけがないと思っていました。ずっと自分のギターのレベルの低さを身に染みて感じていたので。でもとにかく音楽が大好きだったので本気ではやっていました。

D.W.ニコルズ-近影1

──就職しないでプロを目指すと言ったときのご両親の反応は?

鈴木 僕の親も全く反対しませんでした。「あ、そう。やっぱりね」みたいな(笑)。自分で生活費を稼いでやるなら好きなようにやれと言われました。ただ、覚悟は問われたような気がします。大学では工学部の電気電子工学科に通っていたのですが、単位をそろえれば教員免許やいろいろな資格が取れるんですね。そのことを親に話したら「そんな保険をかけるようなずるいマネはするな。やるなら覚悟を決めてやれ」と逆にハッパを懸けられたんです。


──鈴木さんのご両親もすごい人ですね。

鈴木 そうですね(笑)。それで大学卒業後も地元でバンド活動を続けたのですが、そのバンドが解散してしまうことになり、そのタイミングで、2005年、25歳のときに上京しました。それから東京でアルバイトをしながら音楽活動を始めていたところ、まなんに声をかけられたんです。

高校時代からプロを目指す

千葉真奈美-近影1

千葉真奈美(以下、千葉) 私は子どもの頃からバンドが大好きで、自分でもやりたかったので、高校では軽音楽部に入って3年間ベースを弾いていました。在学中から、卒業後もずっとバンドをやりたいと思っていたので、受験勉強も就職活動もしませんでした。両親にもその気持ちを早い段階で話したのですが、私が音楽しかできないことを知っていたので、「どうせ勉強しないんだから大学なんて行かなくていい、好きにしなさい」と言ってくれました。それで高校を卒業後、音楽の専門学校に進学して、アルバイトをしながらバンド活動を始めました。

岡田梨沙(以下、岡田) 私は中学3年生のときにバンドに入ってドラムを叩き始めました。高校に入っても同じくドラムをやっていたのですが、進学校だったので高校2年生のときには受験勉強に専念するため、バンドを辞めざるをえませんでした。大学は横浜にある国立大学の教育学部に進学、当時は何となく数学の教師になりたいなと思っていました。ちなみに小中高の教員免許をもっています。でも結局、大学でロック研究会に入部してドラムを叩いているうちに、この先ももっとバンドでドラムをやりたいと思うようになりました。大学を卒業する時点で本気で続けて行きたいバンドがあったので、卒業後は就職せずに派遣社員をやりながら、そのバンドで音楽活動を続けていました。でもしばらくして解散してしまっていろんなバンドのサポートをしていたある日、ニコルズでドラムを叩かないかと声をかけられたんです。


──そもそもは先生になりたいと思っていたということですが、その夢は簡単にあきらめられたのですか?

岡田 私の母はピアノの先生、兄は数学の先生と教師の家系だったので、先生になりたいというより、何となく自分も将来は教師の道に行くのかなと思っていたんです。でも、大学に入って教師になるための勉強をしてみたところ、自分は教師にそれほど向いていないことがわかり、それなら音楽の方が好きでやっていて楽しいので音楽の道に進むことにしたんです。

両親の反対を押し切って

──ご両親は反対しなかったのですか?

岡田梨沙-近影1

岡田 「大学にまで行かせたのに音楽なんて」と反対されました。最初から反対しているのはうちの親だけですね(笑)。実はずっと「いつまで音楽をやるつもりなんだ」と言われていたんですよ。その割にはライブを観に来て「だいちゃん、かっこいい」とか言ってるんですけどね(笑)。私が一度やると決めたら折れないのは知ってるので、最終的には「あなたが決めたんだからやりなさい」とは言ってくれています。やっと最近は「いつまでやるの」とは言わなくなりました。

鈴木 口では反対していてもライブを観に来てくれてるんだからまだいいよ。りっちゃんと同じく音楽を志していてもどうしても家の事情や親の反対で音楽を辞めていった友だちは本当にたくさんいるからね。どうであれ音楽活動を続けられている時点でラッキーだと思う。

千葉 本気で反対する親はいつまでも絶対ダメだって言うしね。ライブなんて絶対来ないし。

わたなべ まあそれが普通だと思うけどね。

D.W.ニコルズ

わたなべだいすけ(ボーカル、アコースティックギター)、千葉真奈美(ベース)、鈴木健太(ギター)、岡田梨沙(ドラムス)の4人で構成される音楽バンド。2005年、ライブハウスで働いていた千葉真奈美がわたなべだいすけの弾き語りライブを観て「バンドでやろう!」と誘い、D.W.ニコルズを結成。都内でバンドとしての活動を開始。わたなべだいすけのイニシャルがD.W.であることからC.W.ニコル氏を連想。自然を愛するニコル氏に共感と敬意を示し、D.W.ニコルズと命名(C.W.ニコル氏公認)。2007年、鈴木健太と岡田梨沙が加入し現在の編成に。2009年、ミニアルバム『春うらら』を携え“うららかツアー”として初めての全国ツアーへ。9月、メジャーデビューを果たすも、2011年、インディーズに。2013年、EMI Records Japanから再メジャーデビューを果たす。2015年4月には結成10周年を記念したD.W.ニコルズのオールタイムベストアルバム、「ベスト オブ D.W.ニコルズ『LIFE』」を発売。好評を博す。CD制作やライブの他にもラジオやイベント出演など幅広く活動中。10月11日には結成10周年記念ライブとして、破格の入場料1000円の「感謝の1000円ブリッツ!」@赤坂BLITZを開催。

初出日:2015.09.15 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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