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2015.07.08  取材・文/山下久猛 撮影/大平晋也

「0から1%に」

──まさに今のビザスクのサービスそのものですね。

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そうなんですよ。ただ、彼にたどり着くまでに2カ月くらいかかりました。もっと早く彼に出会えていれば、私は最初のECのアイデアをもっと早く捨てて違うことを考えられたのにと思うと時間がもったいなかったなと。これもビザスクのようなサービスがビジネスとして成り立つと思った大きな要因です。自分で彼のような人を簡単に探せていればもっと早くこのサービスを発想できていたはずですからね。

それでその人に教えていただいたアメリカのサービスを調べてみると、一握りの超優秀な専門家と、高額な料金を払える一部の会社をつなぐサービスでした。アイデアや助言など形のないサービスに高額のお金を払う習慣が一般に根付いていない日本では成り立たないと思い、一部の有名な専門家だけでなくその分野で実務経験のあるすべての人と、その分野の情報、アドバイスがほしいすべての企業や個人をつなぐサービスを考え、有料ですが、中小零細企業や個人でも気軽に利用できるように料金を安めに設定しました。それからもう一度企画書を作ってその人のところにもって行ったら「成功確率が0から1%になったかな」と(笑)。ですので、ビザスクが生まれたのはその人のおかげなんです。以降、彼は私のメンターのような感じで今でもたまに会いにいってお話をうかがっています。

覚悟を決めた瞬間

──そこからどうやって会社とサービスを作っていったのですか?

Webサービスを作ろうにも、どうやって作ればいいか皆目わからなかったので、今度は知り合いのつてをたどってWebエンジニアを紹介してもらいました。当時は別の会社に勤めていたのですが、私と会う日にたまたま同じエレベーターに乗った同僚のエンジニアも1人連れてきてくれて、ランチを食べながらビザスクのプランを話しました。そうしたらありがたいことに、週末に手伝うくらいでいいならノーギャラでシステムを作りますよと言ってくれて。その2人は今、当社の社員になっています。私と話したのが運の尽きですね(笑)。

エンジニアとの創業時合宿の模様

エンジニアとの創業時合宿の模様

彼らの協力のおかげで2012年12月にベータ版ができました。まずは知り合いだけのクローズドで運営しようと思っていたのですが、認証のかけ方を知らなかったのでオープンになっていて、知らない間に少しずつユーザーさんがつき始めたんです(笑)。そしたら1人のエンジニアが、このサービスはおもしろいから今働いている会社を辞めてこっちでフルタイムで働いてもいいかもと言ってくれました。

でも社員を雇えるだけのお金はなかったので、2013年5月くらいから資金調達のためベンチャーキャピタルを回り始めたのですが、「アイデアもいいしコンセプトもおもしろい。でも投資は難しい」と断られました。理由を聞くと「気合いが足りないから」と。当時はまだエンジニアが別の会社の社員として勤務しながらうちの仕事を手伝ってくれている状態だったので、「彼を本気であなたの会社で働こうと思わせられないのはあなたのリーダーシップが足りないからだ」「今のままではあなたのチームが成功するとは思えない」とズバリ言われてすごく悔しい思いをしたのと同時に、その瞬間、気合いが入りました。

そこからお金を稼げそうな情報を必死で集め始めたら経産省の「多様な人活支援サービス創出事業」を知り、企画書を提出したら2013年7月に採用され、支援金をもらえることになりました。それで1人のエンジニアは8月からうちで正社員としてフルタイムで働くことを決意してくれて、ビザスクも10月末に正式オープンにこぎつけました。12月にはもう1人のエンジニアもフルタイム勤務になりました。振り返ればあのときのベンチャーキャピタルの方の「気合いが足りない」という言葉が大きなターニングポイントになりましたね。

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──サービスと社名の由来は?

最初のサービス名は「walkntalk」だったんですよ。「歩きながら話そう」という意味で、気軽に人の話を聞きに行けたらいいねという思いを込めたのですが、誰もウォークントークって正しく読んでくれなかったんです(笑)。それで「walkntalk」はあきらめて、「ビジョン(vision)をアスク(ask)する」サービスなので2つの言葉をくっつけて「visasQ」ビザスクにしました。アドバイザーは細かいことだけではなく、いろんな経験を通じて得たビジョン、意見までを答えられるというサービスを目指すという思いを込めました。最後の文字「Q」はクエスチョンのQです。

社員を雇って起業した理由

──そもそもどうしてひとりではなく、社員を雇って起業しようと思ったのですか? 端羽さんのキャリアがあれば1人でも十分稼げるし、社員を雇ったら責任とリスクが生じますよね。

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確かに前職が特殊な仕事だったので、フリーランスとしても私と娘が生活できる分は稼げるとは思っていました。ただやはり1人ではやれることも社会に対するインパクトも限界があるので起業して仲間と一緒にやりたいと思ったんです。また、うちのエンジニアは優秀なのでうちの仕事がダメになってもいつでも次の仕事が見つかると思っていますが、彼らは収入が下がってもうちに来てくれたし、私のやりたいことのために時間を費やしてくれた。このプロジェクトの成否いかんで彼らのその後の人生は大きく変わる。彼らにも家族はいますからね。だからこのプロジェクトは絶対に成功させなければならないと覚悟を決めたんです。


──起業して新しいビジネスを生み出す決断をするとき、もしうまくいなかったらどうしようという不安はなかったのですか?

それは全然考えなかったですね。起業にチャレンジするだけでも私の価値が今よりも上がるに違いないと思っていたので。MITに留学したときと同じ感覚ですよ。海外留学は会社を辞めて、高い授業料を払って行くわけですが、起業はただでいろんな手段を使ってプロジェクトに挑めます。何かリスクがあるというわけではないですよね。万が一うまくいかなければ何か他に仕事を見つければいいだけですし。もちろん私はこのプロジェクトがうまくいくはずだと確信していたので、どっちに転んでもアップサイドしかないという感じでした(笑)。

端羽英子(はしば えいこ)
1978年熊本県生まれ。株式会社ビザスク代表取締役社長

東京大学大学経済学部卒業後、結婚。ゴールドマン・サックス証券に入社。投資銀行部門で企業ファイナンス等に従事。入社半年で妊娠し1年で退社。その後女児を出産。USCPA(米国公認会計士)を取得後、日本ロレアルに入社。化粧品ブランドのヘレナルビンスタインの予算立案・管理を経験。夫の留学に同行し家族で渡米。1年間主婦をした後、MIT(マサチューセッツ工科大学)のMBA(経営学修士)コースに入学。2年後MBA取得。帰国後離婚、以来シングルマザーとして働きながら子どもを育てる。帰国後すぐに投資ファンドのユニゾン・キャピタルに入社、企業投資を5年間経験後、2012年株式会社ビザスクを設立。2013年ビザスク正式オープン。知識と経験の流通を変える新しいプラットフォームの構築に日夜奔走している。

初出日:2015.07.08 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの