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2014.08.18  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

気持ちは新任教師

──16年ぶりに普通中学校に戻ってきたときはどんな気持ちでしたか?

初めて盲導犬と一緒に国語教師として長瀞中学校の教壇に立ったときは感無量でした。ただ、16年ぶりとはいえ新任の教師という思いでやりました。やはり目が見えていた頃とは勝手が違うので、全く別の方法、手段で授業を行わなければならなかったものですから。


──見えなければいろいろなご苦労があると思いますがどんな工夫をしているのですか?

まず、生徒の名前を覚えるために各自の机の天板の裏に点字シールを張ったり、点字で座席表を作ったりしました。また、最初に生徒に自己紹介をしてもらって、それをICレコーダーで録音して自宅に帰って繰り返し聞き、各生徒の名前と声を覚えました。授業中、板書も行っているのですが、文字をまっすぐに、かぶらずに書くために、定規の裏に磁石をつけたものを補助罫線代わりに使っています。文字自体は覚えているのでこうすると普通に書けるんですよ。

オリジナルの定規を使って板書する新井先生

チームティーチング

──授業はどんなふうに行っているのですか?

もうひとりの国語の先生とペアで授業を行うチームティーチングという体制で臨んでいます。着任した当初は私が主に授業を進めて、パートナーの先生が見えない部分をサポートするという方式だったのですが、どうにもうまくいきませんでした。毎日論議と試行錯誤を重ねていく中で、どちらが主体ということではなく、基本的に生徒にとってどんな方法で授業をすればわかりやすいかという視点に立ち、パートナーの先生は私の目の代わりをすることに徹するのではなく、2人で授業をするんだという気持ちに切り替えました。

つまり、何が何でも私が前に立って授業をするのではなく、ここは見えているパートナーの先生が黒板に書いた方が生徒にとってわかりやすいと判断されるときはそうするというふうに、その時々によって役割を柔軟に入れ替えるようにしたところ、授業がうまく回り始めたのです。授業の最適な形は生徒たちが教えてくれたということですね。現在もお互いの役割はきちっと決めず、したがって決まったパターンもなく、臨機応変に授業を行っています。そのために欠かせないのが、パートナーの先生との毎日の授業の打ち合わせの時間です。様々な場面を想定してかなり綿密に行っています。

ただ、通常の授業は一人の先生で行っているので、1+1=2以上の成果は出さなきゃいけないという思いで取り組んでいます。たとえば子どもたちへの声がけなどの配慮は2人で授業を行っている分、よりできているんじゃないかなと思っています。

副担任でありパートナーの志賀麻衣子先生と

──学校側のサポートは?

ズームアイコン

あらゆる扉のドアノブ付近には何の部屋かがわかる点字シールが貼られてある

学校内の各部屋のドアや机、道具などに点字シールを貼ってくださったり、移動のときに声がけしてくださったりと何かと支えてくれています。また、子どもたちも「先生、教室はここじゃないよ」とか「○○はここにあるよ」といったふうに、目を貸してくれています。先生だけじゃなくて生徒にも助けられて何とか教師をやっていられるのです。

おかげさまで、今では自分の存在が当たり前に、つまり教室に私と盲導犬がいて、授業を行っているという風景が当たり前になっています。そう感じたのはこの中学校にきて3年ほど経った頃でしょうか。そして7年目の今年(2014年)、クラス担任になることができました。

新井淑則(あらい よしのり)
1961年埼玉県生まれ。埼玉県長瀞町立長瀞中学校教師

大学卒業後、東秩父中学校に新任の国語教師として赴任。翌年、秩父第一中学に異動し音楽教師だった妻と知り合って結婚。初のクラス担任やサッカー部の顧問を務め、長女も生まれた絶頂期の28歳の時に突然、右目が網膜剥離を発症。手術と入院を繰り返すも右目を失明し、32歳のとき特別支援学校に異動。34歳のとき左目も失明し、3年間休職を余儀なくされる。一時は自殺を考えるほど絶望したが、リハビリを通して同じ境遇の人たちと出会ったことなどで前向きに。視覚障害をもつ高校教師との出会いを機に、教職への復帰を決意し、36歳のとき特別支援学校に復職。その後、普通学校への復帰を訴え続け、支援者のサポートもあり46歳で長瀞中学校に赴任。盲導犬を連れて教壇に立つ。2014年4月、52歳でクラス担任に復帰。全盲で中学校の担任を持つ教師は全国でも初。著書に『全盲先生、泣いて笑っていっぱい生きる』(マガジンハウス)』がある。

初出日:2014.08.18 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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