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2014.06.25  取材・文/山下久猛 撮影/早坂(スタジオ・フォトワゴン)

上善如水

──そしてこれからは地元である奈良に戻って新しい生活を始めるというわけですね。しかし京都→和歌山→京都→沖縄→山形→宮城といろいろな土地を転々としていますが、ひとつのところに長く留まりたくないのでしょうか。

「上善如水」といいますか、僕には常に流れていたいという欲求があるようです。同じ場所に長くいたら慣れて楽ができますが、環境が変わると仕事も生活も苦労するので、それが修行になります。修行僧のことを雲水といいますが、そういうニュアンスなのかなと自分では思っています。


──ご家族はどう感じているのでしょう。

どこにも3年以上いてないですからね。家族もよく僕のわがままについてきてくれたと思いますよ。僕はこれまで何回も死んでもおかしくない事故に遭ってますが、僕が死んだ方が家族は幸せなんとちゃうかと思うときがあるんですよね。僕と一緒だと絶対平穏無事には暮らせないですからね。娘も家を出て行くくらいですから。


──奥さんの忍耐力もすごいですよね。

これまで4人の子育て含めて家事の一切を妻に任せてきたので、妻が倒れる前に病院を辞められてよかったなと思っています。医師という職業は、困っている人を助けて感謝されるし、給料もそこそこもらえるので、やりがいあるしおもろいんですよね。ただ、病院によってはそれこそ家に帰る暇もないくらい忙しいので、そこでバランス崩れると生活が成り立たなくなるんですよね。

妻のことを結婚したころは調子に乗って「うちの嫁が」とか言っていたんですが、あるとき妻の方がお上やなと思って「かみさん」と言い方を変えたんです。本吉に来てからは神様だなと思って手を合わせてます(笑)。

医師という仕事のやりがい

──具体的に仕事のやりがいはどんなところにありますか?

在宅医療に関していえば、家で亡くなってよかったねと言えるときが一番やりがいを感じますね。それは本人も家族も幸せでしょうから。あとは、地域医療に携わっていると、その地域に住んでるほとんどの人と知り合いになれるので、道を歩いているときも居酒屋で飲んでいるときもみんな僕に声をかけてくれるときにこの仕事をしていてよかったなと感じますね。

僕はそもそもの性分として困った人の相談に乗るのが好きなんですよ。今後も医療に携わるとしたら予防、つまり病気を治すというよりは、いかに健康を維持するかということに関わりたいですね。また、病気の問題は地域の問題とも直結しているので、街づくりにも興味関心があります。それから今後の地域医療を担っていく若手医師の育成にも力を入れてきました。

理想の医療とは

──長年地域医療に携わってきた川島さんの考える理想の医療とはどんなものでしょう?

各地の医療機関や教育機関などからの依頼で講演をすることも多い

医療が偉そうな顔をしてたらあかんと思うんですよ。各市民が自己管理をして医者なんかにかかったら終わりやという自覚をもっていただいて、どうしようもないときに仕方ないから相談しに行くというのが医者であるべきだと思っています。

地域医療について講演で話すとき、よくサッカーにたとえています。フォワードはワクチンや保険や教育。これらが直接点を取る選手たちです。中盤の一番運動量の多いミッドフィルダー役が、なるべく歩きましょうとか塩分の少ない食事を摂りましょうとか歯磨きや早寝早起きなどの規則正しい生活をしましょうといったヘルスプロモーション。ゴール前のディフェンダーは福祉や介護。最後の砦のゴールキーパーが医療なんです。サッカーでもゴールキーパーが獅子奮迅の活躍をするのは負け試合なので、そこまでいかに患者を来させないか、つまり「予防」が重要なんです。僕は名前がちょうど日本代表のゴールキーパーと同じ川島なのでこの話はけっこうウケます(笑)。

何のために働くか

──川島さんは何のために働きますか?

お金のためです。それはイコール家族を養うため。今、子どもが4人いますが、彼らを食わせたり教育を受けさせたりしなきゃいけないですからね。本当はもっとお金をかけるよりも手をかけたいと思ってるんですけどね。医者をやってると、そのへんのバランスが難しいです。


──今後の夢や目標は?

今後のことはまったくわからないです。10年後どころか来年自分が何をやってるか全然読めません。逆に読めたらつまらないなとも思います。ただ、ここのところずっと地域医療に取り組んでいるのでそれは続けたいなと思ってます。

川島実(かわしま みのる)
1974年京都府生まれ。医師。

京都大学医学部在学中にプロボクサーとしてデビュー。翌年、薬剤師の女性と結婚し、長女をもうける。3年目にはウェルター級の西日本新人王とMVPに輝くと同時に医師国家試験に合格。29歳までプロボクサーとして活躍し、引退後[通算戦歴:15戦9勝(5KO)5敗1分]、自給自足の生活に憧れ、和歌山県の農村に移住。その後京都府、沖縄県、山形県で医師として経験を積む。山形県庄内町の病院で勤務中の2011年3月、東日本大震災が発生。災害医療チームのボランティア医療スタッフに志願し、山形から毎週末、片道4~5時間かけて宮城県気仙沼市立本吉病院へ通う。気仙沼市からの強い要請で2011年10月、本吉病院の院長に就任。妻と4人の子どもたちを山形に残し、単身赴任開始。2014年3月、本吉病院を退職。現在はフリーランスの医師として週に1回程度本吉病院に勤務。これまでの活動が注目を集め、「情熱大陸」などのテレビ番組出演や新聞・雑誌などのメディア掲載多数。

初出日:2014.06.25 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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