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2014.06.10  取材・文/山下久猛 撮影/早坂(スタジオ・フォトワゴン)

優先順位が大事

──では現在はどんな生活を?

週に一回、病院に勤務していて、外来の診察と、1日6~7軒、病院に来られない患者さんの自宅を回って診療を行っています。そして2週間に一回、奈良の実家に帰っています。奈良では父親の介護がメインですね。それと家探しです。その他の日は山形の家にいます。子どもが下から3歳、6歳、10歳とまだまだ手がかかるので、主に子守や掃除洗濯など家事をしています。今までそれら全部妻に任せきりだったので。


──お嬢さんの件がなければ本吉病院の院長として働き続けていたのでしょうか。

はい。ずっと本吉病院で働いていたと思いますよ。ボランティアで通っていた時期を含めると3年くらいいたので離れるのは寂しいですね。

はっきりいって、ここには仕事や仲間など、自分にとって必要なものはすべてあるんです。僕はライフワークとして病院の裏手で田んぼを作っているんですが、機械でなければできない農作業などは全部地元の人にお願いしてやってもらっていて、そういう田んぼ仲間も自分にとってはかけがえのない人たちなんですよね。トラクターを運転しているおじいちゃんと先日初めて2人で酒を飲んだのですが、ちょうど僕の2倍くらいの歳だということが初めてわかって。僕はおじいちゃん子だったのですが、自分のじいちゃんと酒を飲んだことがないですからね。そういう付き合いがすごくおもしろいんですよね。

こういう人たちと別れるのもつらいし、ここに愛着というか思い入れは当然あるので、本吉に残ろうかとも一瞬考えたんですが、それは本末転倒だなと。今自分が何をするべきかと考えたら家族と一緒にいるべきだと思い直したんですよね。家族がいるから働いてきたわけですからね。それで断腸の思いでここを離れる決意をしたんです。やっぱりね、人生、優先順位って大切だと思いますよ。

川島さんが病院の裏手で作っている田んぼ。農作業を通して地域とのつながりを深めてきた

胸に響く地元住民の言葉

──本吉病院には被災直後から通っていたわけですからこの地域に対する思いも特別なものがあるのでしょうね。

とはいえ僕はあくまでよそ者で、津波で自分の家や家族を失っていません。地元の人々の中にはつらい思いを抱えて生きている人がたくさんいます。しかし津波はいつかまた必ずこの地に来るので、次の津波を心待ちにするくらいの準備がないとこの地域で幸せに暮らせないんじゃないかと思うんですね。だからこそ、「津波が来てよかったねと言えるようになって初めてこの地域が本当に復興したといえる」というのが僕の持論なんです。

先日、よくお参りに行くお寺の住職にそういう話をしたら、「川島先生は一番苦しかった時間を我々と共有してくれたので十分被災者だ。大変な目に遭いましたなあ」と言われたんです。そのお寺も天井まで津波が来て檀家さんが120人くらい亡くなっているんですが、その住職にそんなことを言われてなんだかすごくほっとしました。それだけにやっぱりここを離れるのはつらいですね。


──地元の人たちも川島さんがいなくなるのは寂しいと感じているのでしょうね。

僕が本吉に来たとき、前の院長はほとんど一人で働いていたんですよ。週に5日当直して土日だけ大学病院から応援をもらって休むという働き方をされていたのですが、その先生が震災後退職されたら、患者さんたちは「あの先生は我々を見捨ててここから逃げた薄情な人だ」とずっと恨みごとを言っていたんです。

僕もここを辞めたら同じように逃げたとか薄情だとか非難されるんだろうなと思っていたんですが、この病院を辞めて奈良に帰りますと患者さんや医療スタッフに報告した後も、会う人みなさんに「今まで本当にありがとうございました」と言われるんですよね。それにすごく感動して胸が熱くなりました。僕もここが嫌いになって辞めたわけじゃないので、うれしかったですね。そういうお互いの想いみたいなものを今後も大切にしていきたいなと思ってます。


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川島実(かわしま みのる)
1974年京都府生まれ。医師。

京都大学医学部在学中にプロボクサーとしてデビュー。翌年、薬剤師の女性と結婚し、長女をもうける。3年目にはウェルター級の西日本新人王とMVPに輝くと同時に医師国家試験に合格。29歳までプロボクサーとして活躍し、引退後[通算戦歴:15戦9勝(5KO)5敗1分]、自給自足の生活に憧れ、和歌山県の農村に移住。その後京都府、沖縄県、山形県で医師として経験を積む。山形県庄内町の病院で勤務中の2011年3月、東日本大震災が発生。災害医療チームのボランティア医療スタッフに志願し、山形から毎週末、片道4~5時間かけて宮城県気仙沼市立本吉病院へ通う。気仙沼市からの強い要請で2011年10月、本吉病院の院長に就任。妻と4人の子どもたちを山形に残し、単身赴任開始。2014年3月、本吉病院を退職。現在はフリーランスの医師として週に1回程度本吉病院に勤務。これまでの活動が注目を集め、「情熱大陸」などのテレビ番組出演や新聞・雑誌などのメディア掲載多数。

初出日:2014.06.10 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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