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2014.06.10  取材・文/山下久猛 撮影/早坂(スタジオ・フォトワゴン)

病院にはいつもいる医者が必要

──なぜそこまで本吉病院にこだわったのですか?

先ほどお話したように、本吉病院にはTMATのようなボランティア医療スタッフが全国から集まっていたんですが、入れ替わり立ち替わりで、長く滞在する人でも一週間くらいで元々の勤め先の病院に帰っていたんです。そうじゃなくて病院には患者さんを継続的に診る医者が必要不可欠だというのが、総合診療医としての僕の考え方なんです。だからせめて毎週金曜日には必ず同じ医者がいるという環境を作りたいなと。そうすれば僕も患者さんの状態を把握できるし、患者さんも僕のことを覚えてくれますからね。

そういうわけで毎週金曜日に庄内から気仙沼まで通うようになったのですが、震災発生からしばらくの間は地震で国道の橋が落ちていたり、道路がボコボコになっていたので、片道5時間くらいかかっていて通うだけでもたいへんでした。復旧が進むと4時間くらいになり、現在では3時間半くらいで通えるようになっています。

ボランティア医師として通っていた頃の川島さん。他のボランティア医師や病院スタッフと一緒に

ギリギリの戦い

──庄内の病院で週に6日働いて1日は本吉で診療してまた4~5時間かけて帰って働くって相当ハードですよね。

しかも庄内の病院では当直やオペもあったので、一睡もせずにそのまま本吉へ向かうこともよくありました。朦朧とする意識の中で運転していましたが、現場はそれどころではなかったですからね。地元の医療スタッフも自分の家が流されたり、身内が行方不明になっていたりして、みんな混乱状態だったけど、医療だけは途切れさせるわけにはいかないと必死で働いていたので、それくらいのことでしんどいなんて言っていられなかったわけです。

でもたいへんなことばかりではなかったですよ。毎週訪れるボランティアの医者たちと勤務後、酒を酌み交わしながら被災地の未来や日本の医療について語り明かしていたのですが、これがとても楽しかったんです。

そして本吉病院に通うようになって半年後の2011年10月に気仙沼市からの要請で院長に就任しました。現場からは一刻も早く院長になってくれと懇願されていたのですが、庄内の病院となかなか調整がつかなくて10月になったんです。常勤になったからには庄内から通うわけにもいかないので、気仙沼に移住しようと妻に提案したのですが断られまして。それで妻と4人の子どもを庄内に残して気仙沼に単身赴任することになったんです。

見て見ぬふりはできなかった

──なぜ単身赴任してまで院長を引き受けたのですか?

病院にはやっぱり常勤の院長が必要で、ここの院長を引き受けられるのは僕しかいないだろうと。他の医者は自分の勤め先の病院の仕事があるし、家族もいますからね。


──それは川島さんも同じですよね?

それはそうですが、見て見ぬふりはできなかったんです。庄内に戻った方が体は楽かもしれないけど、本吉を見捨てたら精神的にはつらいんじゃないかと。


──院長になってからは?

当時は常勤の医者は僕しかいなかったのでしばらくは相変わらず忙しかったです。しかも僕がちょっとした事故で左腕を骨折して、3回も手術しなければならなくなり、3ヶ月ほど仕事ができなくなってしまったんです。院長が入院して本吉病院がたいへんだというので、震災から半年も経っているのに、全国からボランティアの医者がたくさん集まってくれてね。院長は別の病院に入院していていないのに病院には医者がいっぱいいるという変な状況になったのですが、患者さんにとっては逆にすごくいい状態でしたよね。ケガの功名ですね(笑)。

その後、2012年3月に入院患者の受け入れを再開することができました。病院として当たり前といえば当たり前ですが、念願のひとつだったのでやっぱりうれしかったですね。そして、翌4月には島根県の病院から医師がひとり常勤で来てくださってさらに助かりました。

川島実(かわしま みのる)
1974年京都府生まれ。医師。

京都大学医学部在学中にプロボクサーとしてデビュー。翌年、薬剤師の女性と結婚し、長女をもうける。3年目にはウェルター級の西日本新人王とMVPに輝くと同時に医師国家試験に合格。29歳までプロボクサーとして活躍し、引退後[通算戦歴:15戦9勝(5KO)5敗1分]、自給自足の生活に憧れ、和歌山県の農村に移住。その後京都府、沖縄県、山形県で医師として経験を積む。山形県庄内町の病院で勤務中の2011年3月、東日本大震災が発生。災害医療チームのボランティア医療スタッフに志願し、山形から毎週末、片道4~5時間かけて宮城県気仙沼市立本吉病院へ通う。気仙沼市からの強い要請で2011年10月、本吉病院の院長に就任。妻と4人の子どもたちを山形に残し、単身赴任開始。2014年3月、本吉病院を退職。現在はフリーランスの医師として週に1回程度本吉病院に勤務。これまでの活動が注目を集め、「情熱大陸」などのテレビ番組出演や新聞・雑誌などのメディア掲載多数。

初出日:2014.06.10 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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