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2014.04.15  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

震災を機に帰国

──なぜ住み慣れたアメリカから日本に帰国したのですか?

3.11の東日本大震災がきっかけです。それまではずっとアメリカにいるつもりでした。しかし、津波によって地域がまるごと消滅していく惨状をアメリカから見て、大きなショックを受けました。まさか生まれ育った日本がこんなことになるなんて......と。同時に、こういうときだからこそ私がこれまで関わってきた地域をつくる仕事が必要になるかもという思いが頭をよぎりました。

とにかく自分の目で今の日本の現状を見てみたいと思い、すぐに日本に帰ろうとしたのですが手がけていた仕事があったり航空券が取れず、震災から約1ヶ月半後に一時帰国しました。成田空港から実家に向かう途中、高速道路から見える東京の街の暗さに驚いたことを覚えています。その後、経産省が後押しする、アートの力で復興に貢献することを目的とした「わわプロジェクト」に、コミュニティデザイン・ディレクターとして関わりました。しばらくは、アメリカに残していた仕事のためアメリカと日本を頻繁に往復していましが、2011年の年末あたりから日本に腰を落ち着けて仕事をすることにしました。

パートナーのJeremy氏とAsian Task Force Against Domestic Violenceのファンドレージングイベントにて

この頃、コミュニティデベロップメントの仕事に長年取り組んできたパートナーのJeremyと「アートをツールとしたコミュニティづくり」という大きなテーマで「日米クリエイティブ・エコロジー」という会社を設立しました。私は生活する上でアート、そしてクリエイティビティの必要性をすごく感じていて、アートが太陽のようにさんさんと人々を照らし、あらゆる場所にアートが存在する社会にしたいという思いで「クリエイティブ・エコロジー」という社名をつけました。現在パートナーはアメリカ・オークランド市のオフィスで働いています。会社としては非常に長いスパンの大規模なコミュニティデベロップメントやコミュニティエンゲージメントのプロジェクトを手がけており、私はそこに付属するプログラムづくりからワークショップの運営も含めてソフト面を手掛けるという役割を担っています。

自分をコンテクスト化させる

──菊池さんが仕事をする上で大切にしてきたことは?

これまでのキャリアの中では、自分をコンテクスト化させるということをずっと心がけてきました。仕事をしているとき、自分がどういう立ち位置で、誰と、何のために、何をしているのかを常に俯瞰して見る。そうすることによって自分の立ち位置がわかるので忙しい時やトラブルが発生したときも必要以上に焦ることもなくなるし、やらなきゃいけないことが明確に見えてくることもあるんですよ。

それから、基本的に仕事の依頼は断らないということです。どんな仕事でも何か理由があって私のところに来たんだろうなといつも思うようにしているんです。

仕事=アート

──菊池さんにとって働くということはどういうことでしょう?

アートをつくっているような感覚ですね。作品をつくるためには自分の気持ちや概念、コンセプトがなければいけないし、作品から何を伝えたいか、作品を見た人がどう感じるかということも考えなきゃいけない。そういう意味でコミュニティデザインという仕事もひとつのアート作品をつくることと同じなんです。

また、私の仕事は必ずしも目に見えるモノをつくる仕事ではないですが、それでも最終的に何かしらの成果を残すために毎日模索しながら頑張るわけです。その中でも私は仕事のプロセスをすごく大切にしているし、一つひとつの積み重ねが最終的に大きなものになると思いたい。そうすると仕事だけじゃなくて「生きる」ということそのものがアート作品を作るという感覚なのかもしれません。


──菊池さんのコアな部分は"アーティスト"なんですね。

そうですね。これまで地域に密着したさまざまなプロジェクトに取り組んできたので、自分の仕事の仕方の一貫性はなにか? ということも常に考えてきました。今までの私のキャリアは、脈絡がなく、畑違いの現場で仕事をしてきたような印象を受けるかもしれませんが、自分の中では畑の「耕し方」は一貫しています。つまり「それぞれの問題解決に取り組みながらその耕し方の最善方法を考える。そこには、必ずアートがある」という基盤は同じだという認識です。課題やテーマに対して、クリエイティブに考えることが好きなんだと思います。

また、問題解決に取り組むにあたり、新しい発想を生み出そうとしたり、これまで誰もやらなかったことにチャレンジしたりと、既存の考え方に反発し、何かと工夫したい、「もっともっとおもしろいことをやりたい!」と思ってしまう癖もあります。そこもやはり私がアーティストとしての気質が抜けないということなのでしょうね。やっぱり私はアートが大好きなんですよ。そして、世の中からアートが消えてしまわないように、自分なりに貢献したいと強く思っています。

自分自身がInstitutionになる

──なぜそこまでアートにこだわるのですか?

アートという非言語的な行為・プロセスが私を救ってくれたからです。アートは答えのないことを誠心誠意探求することを肯定してくれたし、アートを通して人の気持ちを伝える力なども学ぶことができましたしね。自分がアートに救われたので、多くの人にアートの可能性を知ってもらいたいんですよね。研究とは少し違うのかもしれませんが、新しい発想を開拓することが社会向上に繋がるという思考でいつも仕事をしています。このアート思考のプロセスに、生き方、考え方への多くのヒントが秘められていると感じるからです。

最終的に私は「世の中にないことをやる、自分で仕事をつくる=自分自身がInstitutionにならなくてはならない」と思っています。そして分野にこだわらず、横断的に活動できることが大切だとも。そのための仕組みとして、今、日本で多くの人に知ってもらいたいのが、エンゲージメントという概念です。アートをツールやデバイスとして、オーディエンスをつくる、ファンをつくる、地域を愛する人、生活環境を意識する人を育てるなど「人を繋げる」ことなのかもしれません。


──そのエンゲージメントも菊池さんがこれまで手がけてきた仕事の重要なキーワードのひとつですね。

そのとおりです。MITでは人にアートをどう導き合わせるか、ボストン美術館ではどうしたら社会とアートを結びつけられるかということに取り組んできましたし、外部では地域の問題についてそこに住む子どもや大人と一緒に考えてきたわけですが、こういったエンゲージメント的な活動は完全にコミュニティデザインの領域なんですね。ですから職種は違えどやってることはずっと人と人、人と何かをつなげる仕事なので、基本的にどこにいてもやってきたことは同じなんです(笑)。

ワシントンDC中華街文化開発プロジェクト(2009年)

菊池宏子(きくち ひろこ)
1972年東京都生まれ。コミュニティデザイナー/アーティスト/米国・日本クリエィティブ・エコロジー代表

1990年、高校卒業後渡米。ボストン大学芸術学部彫刻科卒、米国タフツ大学大学院博士前期課程修了(芸術学修士)後、マサチューセッツ工科大学・リストビジュアルアーツセンター初年度教育主任、エデュケーション・アウトリーチオフィサーやボストン美術館プログラムマネジャーなどを歴任。美術館や文化施設、まちづくりNPOにて、エデュケーション・プログラム、ワークショップ開発、リーダーシップ育成、コミュニティエンゲージメント戦略・開発、アートや文化の役割・機能を生かした地域再生事業や地域密着型の「人中心型・コミュニティづくり」などに多数携わる。2011年帰国。「あいちトリエンナーレ2013」公式コミュニティデザイナーなどを務める。現在は、東京を拠点に、ワークショップやプロジェクト開発の経験を生かし、クリエイティブ性を生かした「人中心型コミュニティづくり」のアウトプットデザインとマネージメント活動に取り組んでいる。立教大学コミュニティ福祉学部兼任講師、NPO法人アート&ソサエティ研究センター理事なども務めている。

初出日:2014.04.15 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの