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2013.07.01  取材・文/山下久猛 撮影/村上宗一郎

今までにない求人サイトを

──独立後はどんな事業をしようと考えていたのですか?

そもそも仕事って誰かに贈り物をするように働くか、とことん自分ごとでじっくり取り組んでいくということから始まっていると思うんですね。僕自身もそういう仕事の仕方がしたいと望んでいたので、実現するためにはどんなことをすればいいか、いろいろと考えました。

当時、同じ不動産業界だったので、馬場正尊さん(インタビュー第2回に登場)はじめ、「東京R不動産」の方々とも公私共にお付き合いがありました。彼らの仕事からもすごく影響を受けました。

「東京R不動産」は定量的ではなく定性的な情報を発信していますよね。例えば通常の不動産サイトのような広さや間取り、駅からの距離、家賃などではなく、「屋上・バルコニーが広い」とか「レトロな味わい」などその物件の個性を主軸にカテゴライズして、物件を探している人の感情や好みに訴えています。

当時いろいろ考えていた事業プランの中に求人サイトがあったのですが、そういう定性的な伝え方って、求人サイトでもできるはずだと思ったんです。従来の求人サイトって、募集職種や勤務地、給料、勤務時間などの定量的な諸条件がメインなのですが、そうじゃなくて求職者が「こういう会社で働きたい」と思うような求人サイトをつくることができれば、求人している会社と本当にその会社に合った人が出会えるんじゃないかと。もちろん、給料や勤務地も大切ですが、それ以上の何かを伝えられれば、世の中にもっといい場所が増えていくんじゃないかなと思うようになったんですよね。僕がよく通っているバーのような。それでこういう求人サイトをやろうと決意して会社を辞めたわけです。


──なるほど。それはまさにサラリーマン時代にバーで感じたことと直結していますね。流れとしては先に独立ありきではなく、働いていくうちにモヤモヤした思いを抱え、同時並行で西村さんや馬場さんの影響を受け、自分の本当にやりたい仕事・働き方に気がついた。そして「日本仕事百貨」をやろうと決めて独立したという流れですね。しかし会社を辞めたときはまだ20代ですよね。不安はなかったですか?

確かに不安はありましたよ。安定的な働く場と収入を捨て、独立した方が状況は厳しくなるのはわかっていましたし、当時考えていた新しいビジネスも本当に成功するかなんてわからない。まったく先の人生が見通せなくなるので、恐い部分もありました。

そのリスクは承知していましたが、でもそれ以上にこのまま会社にいることのリスクの方が大きいと感じたし、このまま会社にい続けたら何十年後かに絶対に後悔するとも思いました。独立を選ぶ方が自分が望む生き方として違和感がなかったんですよね。つまり不安を超えるくらい、やりたい仕事をやりたい、一度独立にトライしてみないと納得できないという思いの方が強かったということです。

その辺は恋愛と同じようなものだと思いますよ。好きな人がいてもそのとき勇気がなくて告白できなかったら、後であのとき告白しとけばよかったと悔やみますよね。もし告白して振られても死ぬわけじゃないじゃないですか。独立も同じで、当時はリーマンショック前で求人もいくらでもあったので、失敗してもなんとかなるかなと(笑)。

最初はブログからスタート

──独立してからはどのような感じで仕事をしていたのですか?

独立したばかりの頃はひとりだし、それほど広いスペースは必要なかったので、知り合いのオフィスに間借りさせてもらいました。構想していた求人サイトはまずひとりでできるところから始めようと思って、2008年8月1日にブログとしてスタートしました。これが現在の僕らの主軸となっている事業「日本仕事百貨」の始まりです。当時は「東京仕事百貨」と名づけました。

日本仕事百貨」。すべてはここから始まった

──なぜブログ名を「東京仕事百貨」としたのですか?

立ち上げ当初にやりたいと思っていたのは、東京のどこかにある、僕自身が納得した商品だけをそろえている小さな百貨店というイメージでした。それで「東京仕事百貨」という名前にしたんです。

でもその後、北海道から沖縄まで、東京以外の地方の求人がどんどん増えて、2年ほど経ったら半分以上を占めるようになってしまいました。サイト名の最初に「東京」とついていると東京近郊限定なんだと思ってしまう人も多く、せっかくの縁や機会を失うことになりかねません。「東京」を外すことで、より多くの人に、変なバイアスを与えることなく、もっといろんな生き方、働き方を伝えたいと思い、2012年に「日本仕事百貨」に改称したんです。

でも実をいうとこういう事態も見越していて、もしかしたらこの先サイト名を変える可能性もあると思っていたので、サイトのurlは"tokyo"も何もつけず"shigoto100.com"にしていたんです。「仕事百貨」だけは変わらないなと思っていたので。現在は海外の企業からの求人広告依頼も増えているので、いろんな人から「そのうち"世界仕事百貨"になるんじゃないの?」とよく言わるんですが、そこは日本でいいかなと(笑)。

中村健太(なかむら けんた)
1979年東京都生まれ。株式会社シゴトヒト代表。

明治大学大学院理工学研究科建築学専攻を卒業後、不動産会社ザイマックスに就職。不良債権処理、大型複合商業施設の開発・運営などを経験後、2007年28歳のときに退職。2008年8月、生きるように働く人のための求人サイト「東京仕事百貨」(現「日本仕事百貨」)をオープン。「自分ごと」「隣人を大切にする」「贈り物」な仕事を、全国各地で取材し紹介している。2009年10月1日株式会社「シゴトヒト」設立。現在はまちおこしなどのディレクター、東京に町をつくる「リトルトーキョー」など各種プロジェクトやメディアのプランナー、キャリア教育などに関わり、「シブヤ大学しごと課」ディレクターや「みちのく仕事」編集長も務めている。

初出日:2013.07.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの